2019年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 教養としての戦略学 「戦略古典・『孫子』とクラウゼヴィッツ『戦争論』の本質を読み解く ~ロングセラー『失敗の本質』を手掛かりにしながら」

第3回 ガダルカナル作戦


講義録(19年6月12日実施)

第3回は、ガダルカナル作戦を通じて日本陸軍の戦理理解の欠如と、戦略古典の示す教訓を比較検討した。焦点は、①作戦戦略・戦術レベルでの判断、②将兵の勇戦敢闘観、③政治・経済と軍事の関係、の三点に分かれる。


・作戦戦略・戦術レベルでの誤り

『失敗の本質』の分析が示すように、ガダルカナルは日本軍の情報欠如と判断の甘さが集中的に露呈した戦いであった。陸軍はミッドウェー敗北の実態を把握せず、米軍の反攻能力を軽視した。米軍は海兵隊を基軸に水陸両用作戦ドクトリンを整備し、新戦術を投入していたのに対し、日本軍は従来の作戦観念に固執した。

『孫子』と『戦争論』は共に、戦争を「術」として捉え、欺瞞や奇襲の重要性を指摘する。しかし日本軍はこれを実際には生かさず、陸軍の攻撃は予測可能で、米軍の防御構築に正面衝突する形となった。海兵隊は当初悲観的に見積もっていたにもかかわらず、持久的防御を整え、結果的に日本側の突入を撃退した。一木支隊の全滅はその典型であり、米軍からも「無謀な突撃」と評価された。


・勇戦敢闘観と『孫子』の否定

日本軍の行動原理には「勇戦敢闘」を称揚する精神主義が深く根ざしていた。作戦要務令は指揮官に攻撃精神を求め、火力よりも白兵突撃を常用させた。川口支隊もまた、勇戦を強調する方針のもと壊滅した。これに対し『孫子』は個々の将兵の勇敢さに依拠せず、集団戦の合理的運用を重視する。勝利の五要素として、統帥・戦力・士気・地形・規律の総合的調整を説き、個人の勇気は勝敗を決定しないとする。クラウゼヴィッツも「兵力優位への過信」を戒め、単なる勇敢さが勝利を保証しないことを強調している。

結果として、日本軍は戦術の積み重ねで戦局を挽回できると信じ続けたが、第十七軍司令部においてすら戦略的反省は生じなかった。精神主義に依存する限り、構造的敗北を免れることはできなかったのである。


・経済と軍事の視点

ガダルカナル作戦はまた、経済基盤と軍事行動の乖離を象徴する事例でもある。『孫子』は「経済と軍事のバランス」を強調し、戦争における兵站・補給の制約を最重要視する。『戦争論』もまた、軍事の要求を当然視しつつも、国力の範囲内での戦争遂行を前提とする。しかし日本軍は「総力戦研究所」を設立して模擬内閣による日米戦争シミュレーションを行いながら、その結論を政策に反映させなかった。演習は「戦えない経済構造」を明示し、石油備蓄や船舶計画の不十分さを指摘していたにもかかわらず、現実の開戦決定にはほとんど影響しなかった。

その背後には、陸海軍双方が敵を知らず、己も知らない状況があった。石油備蓄量は一部の関係者のみが把握し、兵站需要は甘く見積もられた。ガダルカナル作戦も十分な補給を伴わず実施され、持久戦に耐えられない構造的欠陥を露呈した。


・総括

ガダルカナル作戦は、日本軍の精神主義と戦理無理解を決定的に示す戦役であった。欺瞞や奇襲を用いず、火力を軽視し、勇戦敢闘を強調したことは『孫子』の合理主義に真っ向から反していた。また、クラウゼヴィッツが説く「戦争は現実と絶対の二つの形を持つ」という弁証法的理解も、日本軍には欠落していた。さらに、経済力とのバランスを無視した軍事独走は、補給不足と持久不能をもたらした。ここに見られるのは、第1回・第2回で論じられた政治・外交・軍事の乖離の延長であり、日本軍の敗北が単なる戦場の不運ではなく、戦略思想の根幹的欠陥に基づいていたことを浮き彫りにしている。