2019年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 教養としての戦略学 「戦略古典・『孫子』とクラウゼヴィッツ『戦争論』の本質を読み解く ~ロングセラー『失敗の本質』を手掛かりにしながら」

第4回 インパール作戦


講義録(19年6月19日実施)

第4回は、日本陸軍の最悪の敗戦作戦と評されるインパール作戦を取り上げ、その失敗を兵站・戦場選定・攻守関係の観点から『孫子』と『戦争論』を参照しつつ分析した。焦点は、①兵站軽視と作戦立案、②戦場攻防における視座、③牟田口廉也とスリム中将の対比、の三点である。


・兵站軽視と作戦立案

インパール作戦は、第15軍司令官牟田口廉也中将の強い意志によって推進された。『失敗の本質』も指摘するように、作戦の核心的問題は兵站軽視であった。『孫子』は「兵は国の大事」と説き、補給と兵站を戦争遂行の根幹と位置づける。特に地形と将兵の心理を重視し、長大な補給線の維持困難性を熟知していた。さらに戦闘部隊と兵站部隊の連携を不可欠とし、兵站の断絶が戦争の命運を決すると喝破している。

しかし日本軍は、兵站を軽視し、補給を「現地調達」に頼る構想を立てた。ビルマの山岳地帯における補給困難は明らかであったにもかかわらず、作戦計画では「精神力による克服」を前提にした。これは合理的廟算を重視する『孫子』に真っ向から反するものであった。牟田口は「食糧は現地で奪えばよい」との発想に固執し、結果的に餓死・病死者を続出させ、戦闘以前に部隊の崩壊を招いた。


・戦場攻防における視座

『孫子』は戦場の攻防において、攻撃の不利・防御の有利を強調する。守勢は持久力を蓄え、攻勢は消耗を強いられるという視点である。インパール作戦では、日本軍が攻撃を仕掛けたにもかかわらず、連合軍には当初からビルマ奪回計画がなく、守勢に徹することが可能であった。つまり、日本軍は無意味な攻勢により自ら不利な立場に立ち、戦略的合理性を欠いていた。

ここで重要なのが「迂直の計」である。『孫子』は、直接戦略(直)と間接戦略(迂)を状況に応じて組み合わせることを説く。ところが牟田口は正面突破の「直」を選び、補給線の長さと敵の守備の堅固さを顧みなかった。対照的に連合軍のスリム中将は「後退作戦」という柔軟な間接戦略を採用し、兵站を確保しながら反撃体制を整えた。その結果、日本軍は消耗し尽くし、逆に敵の反攻を招いた。

クラウゼヴィッツも『戦争論』で、防御の優位と攻撃の制約を詳細に論じている。攻勢は必然的に長期戦を強いられ、補給や兵站の困難を増す。インパールはその典型例であり、防御有利の原理を無視したことが壊滅的敗北に直結した。


・牟田口廉也とスリム中将

作戦指導者の資質の対比も鮮明である。牟田口は精神主義に依拠し、現実的制約を軽視して強行突破を命じた。補給計画の不在を「士気」で補おうとし、結果的に部下を飢餓と病に追いやった。これに対し、英軍のスリム中将は冷静な現実主義者であり、戦場での勝利を拙速に求めず、補給・兵站を優先する戦略を徹底した。その違いは、『孫子』が説く合理的リーダーシップと、『戦争論』が説く勇気ある現実主義的判断との対比として浮かび上がる。

また、インパール作戦は日本軍の指揮系統の硬直性も示していた。牟田口の無謀な命令を止める仕組みは存在せず、現場将校も精神主義に囚われていた。結果的に組織全体が不合理な作戦に引きずり込まれたのである。


・総括

インパール作戦は、日本陸軍の構造的欠陥を凝縮した事例である。兵站軽視、攻撃過信、精神主義依存、指揮系統の硬直――これらすべてが『孫子』や『戦争論』の教えに反していた。孫子が強調する補給・防御・迂直の柔軟な組み合わせ、クラウゼヴィッツが説く防御の優位と現実的判断、これらを無視したことが、壊滅的な結果を必然化した。インパールは単なる一作戦の失敗にとどまらず、日本軍の思想的・組織的限界を示す象徴であり、以後の敗北の連鎖を決定的にした。