2019年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 教養としての戦略学 「戦略古典・『孫子』とクラウゼヴィッツ『戦争論』の本質を読み解く ~ロングセラー『失敗の本質』を手掛かりにしながら」
第5回 マリアナ沖海戦
講義録(19年6月26日実施)
第5回は、日本海軍が「絶対国防圏」の維持を掲げて挑んだマリアナ沖海戦を扱い、攻撃と守備・防御に対する理解不足、観念的戦略構想の危うさを浮き彫りにした。ここでは、①攻撃と防御の戦理、②絶対国防圏構想の実態、③ガダルカナル以降の防衛線との連続性、の三点に焦点を当てた。
・攻撃と防御の戦理の誤解
『孫子』と『戦争論』はいずれも、攻撃と守備(防御)の関係を重視して論じる。『孫子』は防御を積極的に評価し、守備が体制を整えることで持久を可能にする一方、攻撃は必然的に不利を負うとする。『戦争論』も攻撃は防御に比べて不利であり、攻撃の頂点で必ず停滞に至ることを説く。つまり攻防は相対的に補完し合う関係にある。
しかし日本海軍はこの基本原理を理解しなかった。ガダルカナル島撤退をめぐる議論においても、軍事戦略と作戦戦略を混同し、撤退を合理的な防御戦略ではなく「敗北」とみなし、精神主義によって攻撃を継続しようとした。結果的に、戦術的に撤退を余儀なくされながらも、それを「つくられた理屈」で正当化するだけで、守備を積極的に位置づける発想に欠けていた。
・絶対国防圏構想の観念性
マリアナ沖海戦に至る背景には、「絶対国防圏」という戦略構想が存在した。しかしそれは現実的裏付けを持たず、観念的に形成されたものであった。ガダルカナル以降、防衛線をどこに設定するかは曖昧に議論され、陸軍と海軍で防御の概念が大きく異なっていた。陸軍は持久防衛を念頭に置いたが、海軍は決戦志向を捨てられず、戦略的統一を欠いた。
形式的に「絶対国防圏」が決定されたものの、その具体的運用方針は空疎であり、天皇からの「本防衛線をどう守るのか」という下問に答えられないほどであった。つまり「絶対」という言葉が独り歩きし、実際には防御線の選定や兵力配置が不十分なまま作戦が進められた。
結果として、マリアナ沖海戦では「グレート・マリアナ・ターキー・シュート」と米側に揶揄されるほどの惨敗を喫した。航空戦力の質・量ともに米軍に劣り、訓練不足と整備能力の差も顕著であった。日本側の「攻撃重視」の思想は、技術的・物量的優位を確立した米軍の前に全く通用しなかった。
・ガダルカナル以降の防衛線との連続性
マリアナ防衛構想は、ガダルカナル撤退後の戦略的混乱の延長にあった。ガダルカナル撤退自体が「消極的選択」とされ、積極的な防御戦略への転換がなされなかったことが、マリアナ戦における戦略的基盤の欠如につながった。『孫子』が説く「間合いを取る守備」や『戦争論』が示す「防御優位」の思想を採用すれば、防衛線を時間稼ぎや持久戦略の一環として活用する道もあった。しかし日本軍は「決戦即講和」の幻想に囚われ、防御を戦略的意図の中に位置づけられなかった。
また、防衛線構想の曖昧さは、陸海軍の相互不信を深めた。作戦指針は形だけ整えられ、実際には責任所在が不明確で、実戦では各部隊がバラバラに行動する結果となった。ここにおいて「軍事独立」「政略無視」といった統帥思想の欠陥が再び表面化した。
・総括
マリアナ沖海戦は、日本軍が防御を積極的に位置づけられなかったこと、観念的構想に依存し現実的戦略を欠いたことを象徴している。『孫子』の防御重視の思想や『戦争論』の攻防理論を無視し、精神主義に基づく攻撃偏重を続けた結果、日本は壊滅的敗北を喫した。ここには第1回から繰り返し論じられる「政治・外交・経済と軍事の断絶」に加え、軍事組織内部の戦略的思考の欠如が顕著に表れている。
マリアナ沖海戦の敗北は、以後のフィリピン決戦・レイテ海戦への流れを決定づけ、日本の敗戦を不可避とした。第5回は、日本軍が最後まで合理的戦略に立脚できず、観念に依拠したまま自壊していった過程を明示したものといえる。
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