2019年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 教養としての戦略学 「戦略古典・『孫子』とクラウゼヴィッツ『戦争論』の本質を読み解く ~ロングセラー『失敗の本質』を手掛かりにしながら」
第6回 レイテ海戦
講義録(19年7月3日実施)
第6回は、日本海軍が壊滅的打撃を受けたレイテ海戦を取り上げ、情報・インテリジェンスの観点からその失敗を分析した。焦点は、①情報の扱いに関する『孫子』と『戦争論』の違い、②インテリジェンスに基づく作戦計画の在り方、③実際のレイテ海戦における情報活用の失敗、の三点に整理した。
・『孫子』『戦争論』のインテリジェンス観の違い
『孫子』は情報を戦争における最重要要素と捉え、人的情報(ヒューミント)の活用を強調する。敵情を知ること、偽情報を流すこと、欺瞞戦術を組み合わせることが勝敗を左右すると説く。孫武自身、王に対するプレゼンテーションを通じて情報の価値を示し、廟算(事前演算)に情報を組み込んだ。
一方、『戦争論』は、情報を重要視しつつも「不完全」「不確実」であることを前提とし、情報の摩擦や錯誤を不可避の要素として扱う。クラウゼヴィッツは「戦争における三分の二は不確実な情報に基づく」と述べ、むしろ情報の限界を克服する指揮官の判断力を重視した。つまり、孫子が情報の「利用」を説くのに対し、クラウゼヴィッツは情報の「不完全性」とそれを踏まえた意思決定を強調する。
・インテリジェンスに基づく作戦計画
『孫子』的な観点からすれば、情報は戦争計画の前提であり、詳細なシミュレーションを行ったうえで戦略を立案すべきである。これに対して『戦争論』は、情報が不完全である以上、作戦計画は柔軟性を持たねばならないとする。つまり、前者は「情報駆動型」の計画、後者は「不確実性を前提とした調整型」の計画という差異を示す。
この違いは、レイテ作戦の構想において明確に現れた。日本海軍は、廟算的に精緻な分析を行うことなく、敵の行動を希望的観測で決め打ちし、「一撃を加えれば講和につながる」との楽観的前提に基づいた。さらに、インテリジェンスを冷静に評価する仕組みが弱く、誤情報や思い込みがそのまま作戦指導に組み込まれた。
・レイテ海戦における情報活用の失敗
実際のレイテ海戦では、日本軍の情報軽視と誤用が致命的な結果を招いた。米軍は統帥一元の下、レイテ攻略を大統領レベルで決定し、戦略意図を徹底していた。これに対し、日本軍は敵の規模・意図を過小評価し、作戦目的と戦力配分の整合性を欠いた。レイテ突入を敢行した栗田艦隊は、幻の米空母部隊を追撃するという錯誤に陥り、戦略的に重要な輸送船団攻撃を放棄してしまった。この誤判断は、『戦争論』が説く「摩擦」や「錯誤」を象徴する事例であり、指揮官が不完全な情報に振り回された典型であった。
さらに、日本軍は「情報保全」を優先しすぎて、下級部隊に正確な情報を共有しなかった。そのため現場は曖昧な指示のまま戦闘に突入し、混乱が増幅された。結果的に「情報の不足」だけでなく「情報の過信」も重なり、作戦全体が破綻した。
米軍側は人的情報や通信傍受を活用して日本艦隊の動きを把握し、巧みに待ち伏せを行った。日本側が「正しい情報を得ていない」だけでなく「得られた情報を正しく評価できなかった」ことが、勝敗を分けたのである。
・総括
レイテ海戦は、インテリジェンスの重要性を無視した日本海軍の致命的失敗を示している。『孫子』の情報重視と『戦争論』の情報不完全性の双方を理解すれば、より現実的な戦略立案が可能であったはずだが、日本はそのいずれも活かせなかった。希望的観測に基づく作戦構想、情報保全の名の下での現場軽視、錯誤に基づく判断――これらすべてが重なり、レイテでの壊滅的敗北につながった。
第6回は、戦争における情報の二面性――利用すべき資源であると同時に、必ず不完全であるという性格――を理解しなければ、戦略的敗北は避けられないことを強調した。レイテは、日本軍がその根本を理解しなかった結果としての「情報戦の敗北」であった。
0コメント