2022年春期講座(明治大学リバティアカデミー)教養としての戦略学 「『失敗の本質』を軍事・経営戦略の視点から読み解く」
第3回 「組織論の視座から考える」
講義要録(22年6月2日実施)
本講義第3回では、『失敗の本質』の核心である「組織論の視座」に焦点をあてた。過去2回の復習として、本書は社会科学としての組織論と、人文科学としての戦史研究のせめぎ合いの成果であり、両者の限界と可能性を踏まえて読む必要があることを再確認した。また、組織論が軍事組織にアプローチする際には共通性と相違性を峻別すること、分析視角として環境・組織構造・管理システム・組織文化を用いることを確認した。そのうえで本回は、軍事組織と企業組織の違いを意識しつつ、組織論的アプローチから導かれる教訓を掘り下げた。
・『失敗の本質』の組織論的枠組み
まず、本書の分析枠組み(環境、戦略、資源、組織構造、管理システム、組織行動、組織学習の7概念)を整理した。ここから導かれる原則は、組織が環境変化に適応するためには自己革新能力を備える必要があるという点である。すなわち「自己革新組織」とは、不均衡を取り込み、柔構造を持ち、変異や危機感を通じて進化を続ける組織であるとされた。
この観点から日本軍をみると、形式上は安定性を備えつつ、実際には環境への柔軟な適応を欠いた点が浮かび上がる。参謀本部による集権化は現場の自律性を抑制し、結果として革新の契機を逸した。評価もまた結果より意図や動機を重視し、合理的な信賞必罰を徹底できなかったことが、組織学習の阻害要因となった。
・組織論からの提言
『失敗の本質』は、日本軍の失敗を踏まえ、組織が革新的であり続けるための六原則を提示した。すなわち①不均衡の創造、②自律性の確保、③創造的破壊、④異端や偶然との共存、⑤知識の淘汰と蓄積、⑥統合的価値の共有である。
これらは単なる経営学的指針ではなく、軍事組織の歴史的経験から抽出された普遍原則といえる。日本軍はオープンシステムたりえず、不均衡を創出できなかった。現場の自律性は権限付与ではなく「独断専行」として現れ、組織全体の進化には結びつかなかった。偶然の発見を制度に取り込む仕組みを欠いたため、学習の機会を逃した。理念の共有も「大東亜共栄圏」といったスローガンにとどまり、具体的行動規範へと落とし込まれなかった。
・野中郁次郎の理論との接続
さらに西田は、野中郁次郎の『知識創造企業』(1996年)を引きつつ、『失敗の本質』以降の組織論の展開を紹介した。野中は「組織的知識創造」という概念を提唱し、暗黙知と形式知の相互作用を通じた知識スパイラルを説明した。これは、軍事組織の革新にも示唆を与える。
日本軍が「青年の議論」を許さず、偶然や異端を排除したのに対し、米海兵隊は水陸両用作戦ドクトリンの開発に際して自由討議を重視した。ここに組織文化の差が顕著に現れる。野中はまた、官僚制とタスクフォースの統合による「ハイパーテキスト型組織」を提案し、効率性と柔軟性を両立させる道を提示した。第二次世界大戦で米軍が日本軍に勝利した一因は、こうした組織構造の柔軟性にあったと論じられる。
・陸海軍の組織文化の差異
講義ではさらに、日本陸軍と海軍の文化的・構造的違いに焦点をあてた。海軍は高価で複雑な軍艦を基盤とする精密機械的組織であり、艦長に権限が集中し、艦隊単位で有機的に行動する傾向が強い。一方、陸軍は歩兵を基幹とする大量動員型の組織であり、分散的で柔軟性があるが、統一的行動はとりにくい。
これらの違いは単なる部門対立を超え、組織文化の根幹に由来する。陸海軍を一括して「日本軍」として論じると、見落とされる要素が多い。したがって、『失敗の本質』を読み解く際にも、それぞれの組織特性を踏まえる必要がある。
・戦略思想と国防方針の対立
最後に、西田は組織論以前の問題として、戦略思想と国防方針の対立に触れた。明治以来、日本は「陸主海従」か「海主陸従」かをめぐり論争を繰り返した。明治40年、昭和11年などに定められた国防方針は、陸海軍の利害を反映した妥協の産物であり、政治と軍事の統合的意思決定が不十分であった。これが総力戦時代における戦略的失敗の根源ともなったのである。
・本講義の意義
第3回講義は、『失敗の本質』を単なる組織論的研究として読むだけでなく、野中理論や陸海軍の文化差、さらには国防方針の歴史的背景を加味して再解釈する視座を提示した。これにより、組織革新の普遍的原則を理解すると同時に、日本軍の特殊性と歴史的制約を踏まえた批判的読解が可能となる。
© 2022 Yoyu Co., Ltd. All Rights Reserved.
0コメント