2022年春期講座(明治大学リバティアカデミー)教養としての戦略学 「『失敗の本質』を軍事・経営戦略の視点から読み解く」
第4回 「戦略的思考をいかに養うか」
講義要録(22年6月9日実施)
本講義は全4回シリーズの最終回であり、テーマは「戦略的思考をいかに養うか」である。これまでの講義では、『失敗の本質』が社会科学と人文科学のせめぎ合いの成果であること、軍事戦略と経営戦略の比較、そして組織論的視座の可能性と限界を検討してきた。最終回はそれらを総合し、戦略的思考の本質に迫ることを目的とした。
・『失敗の本質』と『戦略の本質』
まず、『失敗の本質』の姉妹編として2005年に刊行された『戦略の本質』を取り上げる。同書は『失敗の本質』で曖昧であった戦略の範疇を整理し、大戦略・軍事戦略・作戦戦略・戦術・技術という階層構造を明示した。日本軍が逆転の契機を得られなかったのは、単なる物量劣位だけでなく、戦略そのものを欠いていたからであると結論づけている。
同書はまた、「戦略の本質とは何か ― 10の命題」を提示し、戦略を弁証法、目的の明確化、場の創造、人・信頼・言葉・洞察・社会性・義・賢慮といった要素から捉え直した。その結論は「戦略とは賢慮である」というもので、アリストテレスのフロネシス(実践的知恵)を基盤に戦略を再定義している。
・野中郁次郎の理論的展開
野中郁次郎の『知識創造企業』(1996年)は、組織論から戦略論への橋渡しを行った重要な著作である。組織は暗黙知と形式知のスパイラルによって革新を生むとされ、ここから戦略思考もまた単なる合理性だけではなく、直観や価値判断を含むものであると理解できる。『戦略の本質』はこうした理論をさらに発展させ、合理的認識能力に「直観」や「哲学的判断」を統合する試みを行った。
・戦略思想の補助線
『失敗の本質』は組織論的分析に依拠したが、それを補うために古典戦略思想を参照する意義がある。孫子は簡潔な箴言的表現で戦略の普遍原理を示し、クラウゼヴィッツは戦争を相互作用の体系として論理的に展開した。両者の思想は、『失敗の本質』の組織論が捨象した「大局観」を補完し得る。こうした古典を参照することで、日本軍の失敗を戦略思想史の文脈に位置づけ直すことが可能となる。
・国防方針と戦略思想の乖離
明治以降の日本の国防方針を振り返ると、陸軍と海軍の利害が対立し、政治と軍事の統合的意思決定が不十分であったことがわかる。明治40年、昭和11年などに制定された国防方針は、しばしば妥協の産物となり、短期決戦思想が優位を占めた。その結果、総力戦の現実に対応できず、戦略思想と国防政策の乖離が敗因の一因となった。
・本講義の結論
第4回講義では、以下の結論が導かれた。
1. 『失敗の本質』は組織論的分析を通じて多くの示唆を与えるが、戦略の全体像を把握するには限界がある。
2. 『戦略の本質』や野中理論を参照することで、戦略を「賢慮」として再定義し、合理性と直観を統合する視座が得られる。
3. 孫子やクラウゼヴィッツといった古典戦略思想を補助線として導入すれば、『失敗の本質』の分析をより広い歴史的・思想的文脈に位置づけられる。
4. 日本の国防方針の歴史的展開は、戦略思想と政策決定の乖離を示しており、現代においても教訓的である。
こうして、『失敗の本質』と『戦略の本質』、さらに戦略思想史を往還することで、戦略的思考を養う道筋が明らかになった。最終回にふさわしく、本講義は受講者に対し「戦略とは単なる合理的計算ではなく、人間的判断と賢慮を含む営みである」という視座を提示したのである。
© 2022 Yoyu Co., Ltd. All Rights Reserved.
0コメント