2023年春期講座(明治大学リバティアカデミー) 『教養としての戦略学「孫子とクラウゼヴィッツの戦略思想を学ぶ~ナポレオン戦争、大東亜戦争、ウクライナ戦争の現実を通して真摯に考える~」』

第2回

講座要約(23年6月8日実施)

本講義は、明治大学リバティアカデミー春期講座の第2回として行われ、西田が「大東亜戦争と戦略思想」を題材に、孫子とクラウゼヴィッツの理論を軸に戦略の本質を検討したものである。具体的には、『失敗の本質』における日本軍の戦略策定の問題点、「統帥綱領」に示された思考の枠組み、大東亜戦争開戦までの外交・軍事経緯、さらに「戦争論」の眼目とミッドウェー作戦の失敗をめぐる考察が中心となった。


・イントロダクション

冒頭では、『失敗の本質』において日本軍の戦略策定が「帰納的」であると批判されている点を紹介した。米軍のように原理から個別問題を解く「演繹的」な方法に対し、日本軍は場当たり的で、組織文化として科学的思考が根付かなかったことが指摘される。さらに、陸軍が上級指揮官向けに定めた「統帥綱領」について解説し、そこでは「軍事は主、政治は従」という誤った発想が制度化されていたことを示した。これは孫子やクラウゼヴィッツが強調する「戦争は政治の延長」という基本原則と真逆であった。


・ 外交と軍事の関係

次に、大東亜戦争開戦に至る外交と軍事の関係を分析した。『孫子』は外交を政治的目的を達成するための重要な手段とし、「戦わずして勝つ」理想を提示する。一方、『戦争論』は外交への言及は少なく、むしろ外交が破綻してから始まる武力戦を中心に論じている。クラウゼヴィッツにとって戦争は重大な利害衝突であり、外交との関係を断ち切ることはできないが、その焦点は戦争の遂行そのものに置かれていた。西田は、日本の戦争指導において外交と軍事の相互調整が欠落していたことを強調した。


・戦争論の大眼目

クラウゼヴィッツの『戦争論』において、武力戦の目的とエンドステートがどのように理解されるべきかを取り上げた。彼は戦争には二つの形態があるとし、敵を政治的に抹殺する「第一種の戦争」と、領土獲得をめぐる「第二種の戦争」とを区別した。この区別は戦争目的を明確にし、戦略の適用を誤らないための重要な視座となる。日本の開戦指導では、迅速な武力戦で資源地帯を確保し長期戦体制を整えるとされたが、エンドステートが曖昧で、戦争目的と手段が一致していなかったことが浮き彫りとなる。


・真珠湾と「政治的抹殺」

1941年12月8日の真珠湾攻撃は米国の国民世論を激昂させ、戦争の性格をクラウゼヴィッツがいう「第一種の戦争」に転換させる結果となった。アメリカは日本を政治的に抹殺する意志を固め、日本はその変化に無自覚であった点が大きな問題であった。山本五十六が作戦を「桶狭間・鵯越・川中島の合せ技」と表現した逸話も紹介し、日本側の認識が局地的奇襲に偏り、全体的な戦略視野を欠いていたことを指摘した。


・ミッドウェー作戦の失敗

続いて、1942年のミッドウェー作戦を検討した。『孫子』は合理的な戦力見積もりを重視し、空間・兵力・時間のバランスを分析の基本とする。一方クラウゼヴィッツは、不確実性や摩擦のために合理的見積もりには限界があると説いた。日本海軍は戦力を分散させ、真珠湾で6隻の空母を用いたのに対しミッドウェーでは4隻に減少、さらにアリューシャン作戦と並行したため決戦兵力を集中できなかった。『失敗の本質』が指摘するように、目的の曖昧さと不測事態への即応力の欠如が失敗の要因であった。


・まとめ

本講義は、孫子とクラウゼヴィッツの理論を参照しつつ、日本軍の戦略文化の欠陥を浮き彫りにした。特に「軍事は政治に従属する」という原則の軽視、外交と軍事の相互調整の欠落、戦争目的とエンドステートの不一致が致命的であったことを明確にした。西田は、古典的戦略思想の学びが、現代においても戦略的思考を養うために不可欠であると結論づけた。

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