温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第133回】 野口竜司『文系AI人材になる 統計・プログラム知識は不要』(東洋経済新報社,2020年)

文系AI人材の再定義――生成AI時代における人文知の役割とは

・AIが充実する未来と人間の営み

日本はこれから多額の資金をAIに投資していくことになる。このこと自体は大変結構なことだとは思う。未来はより効率的で合理的なシステムが導入もされていき、日々の生活から社会・産業インフラ、国防にまで大きく影響を与えていく流れはもはや変わらないだろう。ただ、未来において人間が考えることから解放され、安逸をむさぼることができるかといえば、おそらくはそうならないだろう。むしろ、AIを使いこなしていく上でも、人間がこれまでよりもずっと深く考えることが求められていく時代が来るともいえるのかもしれない。そして、それを成し得るためにも人文知というある種のかび臭い古典的知識がどこまでも並走してくるようにも思う。


・従来型の「文系AI人材」

「文系AI人材」という用語に惹かれて手に入れた本が手元にある。タイトルは『文系AI人材になる』というもので、野口竜司さんという方が2019年に執筆されたものである。この年代は生成AIが登場するよりも前の時期に書かれたものであり、内容としては文系ビジネスパーソン向けのAI入門書である。本書が前提とする「AI」というのは機械学習・ディープラーニングを主軸にしたいわゆる“従来型AI”であり、その世界観では、AIとは定量化されたビジネス課題を分析し、最適化するためのツールとなる。したがって本書の中で提起されている「文系AI人材」というのは、技術開発に直接携わらない非エンジニア層が、AI導入プロジェクトにおいて「企画・要件定義・運用設計」などを担う人材のことを指している。言葉を変えると、AIを現場に落とし込む旗振り役が文系AI人材であり、その役割は十分に重要ではあるが、依然としてAIは業務改善のためのツールという位置づけにとどまっている。


・従来と現在の乖離とは

本書はその意味で、従来AIの実装が社会に浸透しはじめた時代の「文系の関わり方」を明快に描いた良書ともいえるのだろう。特に、AIの分類(予測・識別・最適化など)や、導入プロセスにおける文系人材の役割(業務理解、課題設定、期待値調整など)の整理は現在でも有効と思われる。他方では、本書が描いているAI観は、あくまでも“分析を行うAI”であり、“思考を営むAI”ではないのだ。2020年代半ばと現在における新しいAI像との大きな乖離や断絶があるようだ。

生成AIの登場によって、AIは単なる「分析システム」から、「意味・文脈・概念を扱う推論装置」へと変容することになった。従来AIが世界を数値で捉えたのに対し、生成AIは世界を言語で捉えている。そこには、業務最適化とは次元の異なる、人間の知性そのものに触れる可能性が開かれているのだ。AIが問いを生み、推論し、意味を織り上げる時代において、文系AI人材が担う役割もまた根本的に拡張されていくのではないだろうか。


・人文知の復権と共に

ここでとても大切になってくるのが、人間が長らく営んできた人文知との接続である。歴史・哲学・戦略思想・文学といった人文知は、もともと「曖昧さ」「摩擦」「文脈」「価値判断」を扱う領域である。従来AIではこれらを扱えなかったため、人文知とAIの接点はほとんどなかった。しかし生成AIは、言語・物語・抽象概念・メタファー・価値観・歴史意識といった“非定量の知”を処理し、人間の思考と相互作用できる初めてのAIとなる。

その結果、「文系AI人材」という概念も、旧来の“企画の旗振り役”から、“AIを介して思考し、問いを立て、概念の構造をしっかりと読み替え、組織の判断力を再設計できる人材”へと拡張して論じられるべきかとも思う。従来AI時代の文系人材が「業務をAIで効率化する役」だったとすれば、生成AI時代の文系人材は「AIと共に思考を深め、組織の知性の拡張を担う役」になる。結局のところ企業も組織も思考できる人材を育てなければAIを活かしきれないだろう。

そしてこの点こそ、人文知の本領である。生成AIは、古典や歴史・思想を単なる資料ではなく、推論の材料として扱えるのだ。たとえば戦略思想、クラウゼヴィッツ的思考過程(批判や検証の仕方)、摩擦の概念、政治・歴史の文脈は、生成AIと人間の対話のなかで新しい洞察を生むことがわかってきている。ここでは文系AI人材は、単にデータを読むのではなく、AIとともに意味を編む存在となっていく。生成AI時代の文系AI人材とは、意味生成のパートナーであるともいえるのだろう。


・人間の努力義務は無くならない

本書『文系AI人材になる』は、従来AIの時代における文系人材の役割を明確に示した点で価値があると思う。しかし生成AI時代においては、文系AI人材は企画者から思索者—あるいは知のファシリテーター—へと役割を拡張していく必要があるとも思う。

論理AI、統計AIを経て、言語推論AIに至った現代において、人文知はAIとの共創の中心に立ちうる領域へと返り咲いてきているともいえるし、新たなルネッサンスとも呼べるのかもしれない。ただ、いずれにせよAIが進化を遂げるほどに、人間もまた思考を深化するべき努力義務からは逃れられない。個人的にはこのことが人間とAIの共創・共鳴には良いと思うし、倫理的にもそちらのほうが良いとも思うのだ。


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書評筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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