インテリジェンスの基本は情報保全にあり【孫子・第10回】

【前回までのあらすじ】

大学の後輩であるY君に請われ、『孫子』についてレクチャーをすることになった「私」。商社での仕事に『孫子』のエッセンスを活かしたいというY君に、ミッドウェー海戦で活躍した名将・山口多聞の例を引きながら『孫子』の情報論をレクチャーする。

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「基本的なことを聞きたいのですが・・・ミッドウェー海戦において、残った空母『飛龍』1隻で相手と差し違えるというその判断は正しかったのでしょうか。つまり、残った貴重な空母1隻と多くのベテランパイロットたちとともに撤退して、後日、十分な戦力を準備してから再戦をするという考えはどうなのでしょうか」

「そこを論じるのはなかなか難しいね。技術的には、最大戦闘速力30ノットの飛龍では、飛行機としては足が遅く120ノットくらいしかでない雷撃機あたりにも簡単に追いつかれてしまうだろうしね。海域からの離脱は難しかったかもしれない。それに山口自身にそんな権限はなかったともいえるしね」

「なるほど。歴史に『たられば』はダメといわれるかもしれませんが、あえて聞きたいのは、もしそれが技術的に可能で、権限の有無も度外視した場合、そうした決断はありえたのでしょうか」


「そうなると、問題は大東亜戦争自体の戦略目的、ミッドウェー海戦の作戦目的といった根本的な部分に関わってくるね。つまりは、『戦略』『作戦』といった言葉の意味を整理して、全体像をみながら議論しないといけない。そのあたりのことは、Y君が次回、『失敗の本質』を読み終えてきたときに議論してもよいね。一言で『情報/インテリジェンス』といっても、それこそ戦略や作戦のレベルによっていろいろあるのだけど、実のところ、これまでそのあたりを混合して論じてきたからね。少し整理をしないといけない」

「わかりました。なるべく早めに読み終えるようにしたいと思います。しかし、奥が深そうですね。会社なんかだと、人によってはたとえば『戦略会議』も『作戦会議』もほとんど同じ意味で使っているから、よく考えるとそのあたりも整理しないといけないですね。もっとも、僕もその辺の整理ができているとはいえませんが・・・それと、山口多聞は結局どうなったのでしょうか?」


「山口自身は生き残った人員を可能なかぎり退艦させて、自らは艦と運命を共にしている。

何度も部下たちから一緒に退艦しましょうといわれたのだけど、『どうかみんなで仇をうってくれ。ここでお別れする』といってね。そうしたらほかの参謀たちもお供しますというんだけど、『艦長と二人だけでよい』といって、退艦する皆と握手を交わして別れた。『その姿は散歩の途中でさようならをいうように淡々としていた』と生き残ったものが証言を残しているよ」

「強烈なシーンですね。その人となりをどう解釈すればよいのかな」

「彼は闘争心のかたまりで、精神主義を非常に重んじた人といわれているんだ。もちろん、精神主義といってもなにかひとつのドクマを妄信するようなことではなくて、若いころから剣道と中国古典やカントといったもので自らを鍛えたという意味でね。理工系の知識が偏重されがちな海軍の教育にあって、自ら心身に鍛えをほどこして判断力や胆力を磨いていったのだろうね」

「つまりは合理的なサイエンス思考と、直観的なアート思考の両方を持っていたということですか・・・きっと、孫子も読み込んでいたのでしょうね」


「そう考えるのが普通ではないかな。どのような読み込み方をしていたかまではわからないけどね。なお、山口は非常な愛妻家でもあった。彼が妻・孝子との間に交わした100通以上の手紙が残っていてね。その手紙の最後には必ず『貴女だけのもの多聞より』『私だけのもの孝子様』と書かれているんだ。沈みゆく艦の中で、今際の際に山口は何を思っただろうか・・・」

「生きて帰ることも選べたんですよね」


わずかに沈黙がふたりをつつんだ。もうすっかり氷が溶けてしまった薄いコーヒーを一口含み、ふと腕時計に目をやると、ランチタイムが終わりに近づいていた。

そのことをY君に伝えると、「いけね!もうこんな時間だ」と彼はあわててノートを終いはじめた。


「ときにY君。ランチタイムとはいえ、このような勉強会をすることを会社には伝えるのかい」

「いえ、特には。『孫子』で戦略を学ぶといってもその意義をわかってもらえるか・・・秘密にしておいたほうよいかなと。何かまずいでしょうか?」 

Y君は少し不安そうだ。

「いや良いと思うよ。孫子もときにいっているではないか。『よく士卒の耳目を愚かにし、これを知ること無からしむ(九地篇)』(名将は、自分の作戦や構想は、部下将兵といえども秘匿する)とね。インテリジェンスの基本はまずは情報保全からだ。もっとも、その基本すらできなかったのがミッドウェー作戦だったけどね。なにせ機動部隊が日本を出港するよりも以前に、巷の芸者衆が『海軍さん次の作戦はミッドウェーというところらしいですな』といっていたらしいからね」


立ち上がったY君の表情に少しばかりの陰が生じた。せわしなくお礼をいって去り行く彼の背中を見つめながら、私自身、今しがた自分が言ったことを反芻して少し哀しい気持ちになった。


(「序章」了)

※この対談はフィクションです。

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筆者:西田陽一

 1976年生まれ。(株)陽雄代表取締役社長。作家。「御宙塾」代表。

株式会社 陽雄

~ 誠実に対話を行い 真剣に戦略を考え 目的の達成へ繋ぐ ~ We are committed to … Frame the scheme by a "back and forth" dialogue Invite participants in the strategic timing Advance the objective for your further success

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