温故知新~今も昔も変わりなく~【第4回】 クラウゼヴィッツ『戦争論』~現実と理念の間で~

好きな映画の一つは95年の「クリムゾン・タイド」。冷戦後に米露の核危機が勃発し、その渦中に巻き込まれた米原子力潜水艦アラバマ号では、名優ジーン・ハックマンが演ずる艦長、デンゼル・ワシントンが役とする副長が核による反撃を巡って対立を深めていく物語だ。この序盤、潜水艦の狭い食堂に集まった士官たちを前に、艦長が19世紀を生きたプロイセンの将軍カール・フォン・クラウゼヴィッツの「戦争論」を引用し、副長の見解を試すシーンがある。当時18歳の私はこのときはじめて「戦争論」を知り、後に本を買って読んだがあまり理解できなかった。その時点では将来「戦争論」と深く絡むことになるとはまったく思ってなかった。


「戦争とは、異なる手段をもって継続される政治に他ならない」(「戦争論」覚え書より)

クラウゼヴィッツといえば、ほとんどこの言葉が引用される。


言い方を変えれば、これ以外に知っている人のほうがマイナーなのかもしれない。戦略思想の古典的存在としての東洋代表に「孫子」をあげれば、西洋からは「戦争論」がまずランクインする。しかしながら、600ページ以上にわたるこの本を最初から最後まで読破した人となると案外少ないようだ。肩に星をつけた将軍たちでも、どうもその例外ではない。その原因のひとつはその著述スタイルが「独特」であり、カントなどに代表されるドイツ観念論の影響が強くあり弁証法的な要素が多分に含まれているところだろう。私自身、「戦争論」を理解するために渋々ながらカントの「純粋理性批判」に取り組んだ記憶がある。もっとも、のちにカントには多くを学び、大いに感動し、その道筋をつけてくれた「戦争論」には深く感謝している。カントについてはまたいつか機会が巡ってきたときに改めたいと思う。


ただ、一つだけ触れておきたいのは「アンチノミー」(二律背反)という考え方が非常に面白く為になった。純粋理性(理性というから難しくなるけど、理性の英訳はreason、リーズンを直訳すれば「理由」、つまり理性とは理由はおなじ語感で掴めばよいと)が陥るアンチノミーをあげつつ、理性の限界に触れていく。例えば、テーゼ、世界は空間・時間的に始まりを有する有限である。アンチテーゼ、世界は空間・時間的に無限である。どんなに考えても結論が出ない。それが人間の限界でもあるが・・・これを根掘り葉掘りと突き詰めるのがカントのスタイルだ。


クラウゼヴィッツもこのスタイルを模倣して「現実上」と「理想(理念)上」を二つ並列して議論をすすめていく。「現実におきえる戦争」と「理念の世界の絶対戦争」を交差させるスタイルは、必ずしも整理整頓されているわけでもなく、それは読者を大いに呻吟させる保証書つきだ。結局のところ、この難解名著の「戦争論」が読者に何をもたらしてくれるのかといえば明示は難しい。ただ、「現実上」と「理念上」を刻苦しながら読み進め、考え進めていけば、少なくとも思考力は鍛えられる。最初からシンプルに概念整理された結論を求める時代にあってはこの本が流行ることはないだろう。ただそれでも地味に生き残ってきているのだ。


さて、「戦争論」は、海中深く潜航する潜水艦の食堂で、士官たちの会話で使われる程度のプロ仕様の存在であればよいのか。
平和を守るためにこそ戦争の本質を学び、そのためにも広く読まれるべきものなのか・・・


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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