温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第24回】 八原博通『沖縄決戦~高級参謀の手記~』(中公文庫プレミアム,2015年)

読み進めれば苦しくもなるが、それでも読まねばならない本を一冊選ぶとすれば「沖縄決戦~高級参謀の手記~」(八原博通)をあげる。沖縄戦を戦い抜いたのが第32軍、その司令部のトップ3人、司令官牛島満中将、参謀長・長勇少将、高級参謀・八原博通大佐だった。


米軍の攻勢が迫りくる中、沖縄本島の最南部・摩文仁の丘で自決する今際の際、牛島司令官の辞世は

・秋待たで枯れ行く島の青草も み国の春に よみがえらなむ

・矢弾つき天地そめて散るとても 天がけりつつみ国護らむ 


長参謀長の辞世は

醜敵締帯南西地 飛機満空艦圧海

敢闘九旬一夢裡 万骨枯尽走天外


そして八原高級参謀のものはない。

彼は包囲された摩文仁から脱出して日本本土に帰還して、その戦訓を伝えることを命令されたからだ。だが脱出は失敗し米軍の捕虜となり戦後本土に復員した。彼が生きのこることでこの手記が書かれた。


八原は実質的に沖縄戦の作戦起案をした者で、その作戦のもと第32軍は約3カ月間、「日本本土決戦」の準備時間を稼ぐための戦略持久作戦を行った。その結果として日本軍戦死者約6万5千、日本側住民約10万、米軍側戦死者・行方不明者は2万余り。日本軍側の組織的頑強さを米軍側戦史は称賛し、米軍事評論家ハンソン・ボールドウィン「太平洋戦争中日本軍で、最も善く戦ったのは、沖縄防衛部隊であった」という言葉を残している。


今年も8月15日を迎え「終戦記念日」がやってきた。

小学館の日本大百科全書によれば「日本は米英中3国によるポツダム宣言受諾を申し入れ、15日無条件降伏し、第二次世界大戦が終結した。この終戦記念日は戦争の誤りと惨禍を反省、平和を誓うため、・・この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された」 とある。平和を誓うこと、戦争の惨禍を反省すること、あまりにもっともなことだ。だがこの「戦争の誤りを反省」とは、「軍事作戦の誤り(失敗)を反省」というコンテクストは含むのだろうか・・・。

この手記「沖縄決戦」は、その作戦準備から始まり、そもそも航空決戦か戦略持久作戦をめぐる混乱、主陣地をよって強靭なる持久戦等を展開するか、米軍が占領する飛行場を奪回するべく反撃に出るか・・などその過程では様々な摩擦が入り乱れ、戦訓となるものが記録されている。本書の後半に次のような記述がある。


作戦命令の数は戦争開始以来、積もり積もって二大冊となった・・「高級参謀殿、これが最後の命令です!参謀殿自ら起案して下さい」と言う。長野(人物名)の声は沈痛で感動に震えている。私は「従来命令の相当部分は貴官に起案してもらった。この最後の命令も貴官に頼むよ」と彼に半ば押し付けた。「親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘実に三カ月、すでにその任務を完遂せり。諸子の忠誠勇武は燦として後生を照らさん。今や戦線錯綜し、通信もまた途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各、各々その陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のために最後まで敢闘せよ。さらばこの命令が最後なり」 本命令案を見られた参謀長(長勇)は例の如く筆に赤インキを浸し、墨痕淋漓次の如く加筆された。

「・・・最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし・・」軍司令官はいつものように、完全に終始一貫され、黙って署名された」 


さて繰り返しなるが、不戦を誓うのはもっともだ。だが、万が一のとき、どのように戦い、どのようにまともな戦争をして、どのようにそれを終わらせるかは、所詮は歴史から多くを学ぶしかないようにも思う。

なお、八原参謀は生き残ったことを戦後非難されること度々、亡くなった際の葬儀に参列した日本軍関係者は3人のみだった。ただ、それでも「沖縄決戦」は通読に値する本だ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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