論語よみの論語知らず【第7回】「その脛をたたけり」

「体罰」と「禁止」の単語が結びつき、四字熟語に昇華され、これが絶対となればそこに例外はなくなる。一方で体罰の定義が何かといえば、いまの社会では炎上を危惧してか、あまり真正面から議論されることはない。ひとたびフタを開ければ、「叩く」という一切の行為を禁止とする意見から、動機によっては認めるというものまで意見は百出するだろう。ところで論語には、孔子が体罰的に人を叩くシーンが、極めて例外的だが存在するのだ。

 

「原壌(げんじょう) 夷(い)してまつ。子曰く、幼にして孫弟ならず。長じては述ぶる無し。老いて死せず。是を賊と為す、と。杖を以てその脛(けい)を叩けり」(憲問篇14-43)

 

【現代語訳】

(孔子の古い知り合いの)原壌が尻を地につけ脛を立てて坐り(夷。立て膝)、(不作法な姿で)老先生を待っていた。老先生は「幼いときから礼儀知らず。大人となってから、これという取り柄もない。年をとって生きているだけ。こういう奴がならず者だ」とおっしゃて、その曳いておられた杖で、原壌の脛をぴしゃりと叩かれた(加地伸行訳)

 

孔子が原壌のあまりの不作法を看過しえずにつよくたしなめたとするのが一般的解釈らしい。一方で、江戸時代の儒学者・荻生徂徠などは、孔子は古くからの付き合いである原壌に親しみをこめ、からかい、そして戯れたという解釈をあげている。なお、筆者としては、「脛を杖で叩く」という一点の事実をもって、やはり前者が正解だと思うのだ。

弁慶の泣き所の脛は、長年にわたってビール瓶で叩く、砂袋でも蹴りこむ鍛錬を続ければ、硬くなり「ピカピカ」にひかって武器になる。空手家などはこうした鍛錬を怠らないが、仕上がるまでの年月、その痛さは脂汗タラタラ・・・まあ言葉にならない。(筆者は身をもって知っている)ふつうに生きていればこんなことは無縁だし、ましてやカンフーの使い手でもなかった原壌が脛を鍛えこんでいたわけがない。なにを言いたいかといえば、杖で脛を叩かれる痛みはかなりのもので、親しき仲の冗談ではすまないものだ。品行方正だっただろう荻生徂徠は、おそらく杖で脛を叩かれたことなどなかったことだろう。

 

さて、叩かれた原壌がどのようなリアクションをしたかについては何も語られていない。筆者が想像するに、原壌は叩かれたとき間の抜けた表情で茫然としつつ、なぜ孔子が叩いたか、その真意を理解することはなかっただろうと思う。 天下をあまねくまわり、道を求め説き続けての艱難辛苦の末、孔子は老年に入った。幼きときからの知人である原壌には、親愛の情がわきつつも、一方で何一つ求めてこなかった体たらくが許せなかったのだろう。

「老いて死せず」は、「一瞬でも真剣に生きろ」、さすれば「老いて死すは可なり」の裏返しであり、孔子の情熱過多がつい発奮激発してしまったのだと想像する。すでに名声を得ていた孔子が、あえて原壌に再会し、そして図らずも愛の鞭を打つ。孔子の人間らしさが垣間見えて正直筆者は気に入っている。さて、これを体罰とよぶべきものかどうかは知ったことではない。

 

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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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