論語よみの論語知らず【第6回】「馬進まざるなり、と」

一方が勝ち戦となれば、他方は負け戦となる。至極当然の話だ。勝ち戦では手柄を立てる機会に恵まれても、負け戦となるとなかなかそうはいかない。負け戦では、ときに敗軍は戦場から戦いつつ退却を求められ、誰かが最後尾で殿(しんがり)を指揮して、他の味方が無事に離脱するまで踏みとどまることになる。成功すれば名誉だが、失敗すれば全滅するリスクの高い役回りだが、この殿を成功させても自慢しなかった人物のエピソードが論語にある。

 

「子曰く、孟之反(もうしはん)ほこらず。奔りて、殿(しんがり)す。将に門に入らんとするとき、其の馬にむちうちて曰く、敢えて後るるに非ず。馬 進まざるなり、と」(蕹也篇6-15)


【現代語訳】

老先生の教え。孟之反は自慢をしない人であった。(魯国の軍が斉国の軍と戦って)敗走したとき、殿軍(でんぐん・最後尾の部隊)の長をはたした。(そして、安全な陣地にたどり着き、その)軍門に入ろうとするとき、馬にむちをあてて急がせ、こう言ったという。「自分から殿(しんがり)をしたわけではござらぬ。馬が進みませんでな」と

 

退却の心得は、速やかに敵と離れることにある。まず、敵との接触を解き、次に、敵との間合いをとらなければならない。そして、可能なかぎり敵と戦闘を交えないで後退しなければならない・・・とはいうものの、現実は言うは易く行うは難し。大勢を逃すために、一部が劣勢のなかで反撃をして、損耗をだしながらもジリジリと後退をするようなことが多い。

 

私の手元に『戦場心理学』なる昭和5年発行の古本がある。このなかで、「退却は即ち戦闘意思の放棄の結果生起する一つの行動であります。・・・兵卒が一度この心的崩壊過程に入りますと・・・走れば走るほど恐怖心が増加する・・・退却中に兵卒が妄覚を起こしたり、流言飛語が盛んに行われるは・・・」などと記述がある。退却に任じられた兵士たちを指揮することは、とても難しいかじ取りなのだ。

 

実のところ、「孟之反は自慢をしない人であった・・・」という訳に対し、少し意地悪な解釈がある。江戸時代の儒学者佐藤一斎は、孟之反の行動はカッコつけの「作為」で、実際のところ「自慢」しているにすぎないのだとする(『論語欄外書』佐藤一斎全集6巻参照)。佐藤一斎の『言志四録』は現代でも愛読者が多いが、この解釈はかなりピントがずれてトンチンカンではないかと思う。

孟之反の行動は「作為」的ではあるが「自慢」ではない。これは少し想像力を働かせればわかることだ。安全な陣地にたどり着き、軍門をくぐるとき、孟之反はただ一人であったか?いや、そんなはずはなく、軍門のなかには殿のおかげで先に逃げることができた人々が大勢出迎えたはずだ。そして、軍門をくぐる際、孟之反の後ろには殿の悲憤慷慨をともにして傷ついた大勢の兵士たちが列をなして続いたはずだ。そしてこの作為は、彼らに向けたものであっただろう。

 

その真意は「殿を生き残った勇敢な兵士たちよ。いまや諸君らは英雄かもしれないが、功をまわりに誇らずにいるくらいでよいのだ」との戒めを率先して示したと解するが自然だ。妬み嫉みは人の業であり、それを避ける術を指揮官自らが演技で示したのだと思えば粋な話だ。

 

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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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