論語よみの論語知らず【第11回】「利によりて行えば」
「ハーバード白熱教室」の名で知られていることが多いかもしれない。同大のマイケル・サンデル教授の「これからの「正義」の話をしよう」(原題Justice)は社会と正義の問題を考えていくのにはよいテキストだ。実際に社会で起きた現象や事件を取り上げ、並行してカントやアリストテレスなど有名な哲学の考えを示して、矛盾を前にどう折り合いをつけていくかを読み手に迫る。哲学が象牙の塔にこもる者たちの独占物ではないことを知らしめるのに十分な迫力だ。この本の冒頭は、アメリカでハリケーンが大災害をもたらしたあとに起きた「便乗値上げ」を取り上げるところから始まる。ふだんは1袋2ドルの氷が10ドル、小型発電機は250ドルから2000ドル、一晩40ドルのホテルは160ドルへと値上げされる。当然ながら便乗値上げを批判する声があがる一方で、これを擁護する声もあった。
「市場でつく価格を請求することは暴利行為ではない。・・・一見法外な価格も、必要な商品も、必要な商品の増産を促すインセンティブを・・」。
なお、こうした便乗値上げは日本では周囲の目があるから起こりえない、いや起きている、と友人たちの間で見解がわれた。もっとも日米を比較するだけのデータもないので真実程度はわからない。利潤や利益を追求すること、論語では否定はしないが、ただ行き過ぎについてこんな言葉がある。
「子曰く、利に放(よ)りて行えば、怨み多し」(里仁篇4-12)
【現代語訳】
老先生の教え。利害打算だけで行動すると、他者から怨まれることが多くなる(加地伸行訳)
きわめてシンプルな表現で、子供でもわかるような道理だ。ただ、それが十分に人口に膾炙して倫理として機能しているかは別の話だ。怨まれても暴利を貪ることにいそしみ、個人が望むのであれば利益を極限まで追求することは「自由」だとする自由至上主義を標榜するものたちが多くいる。現代では、ほぼ全てのものにプライスタグ(値札)がついており、公正かどうかはともかく、お金次第で買えるように錯覚させる。「年収いくら」で転職という価値観ならば、その値札を自分の首にぶら下げて市場で買い手を探せばよい。おそらくは「価格」と「価値」の境界線があいまいになっている。グローバル化が進み、経済のパイが加速度的に拡大するなか、「価格」というひとつの尺度にすぎないものが、いつしか普遍的な「価値」のようにふるまい幅を利かせすぎているかもしれない。
ところで、「利によりて行えば」の生き方の結末に「うらみ」が多くあるとして、それは他者からだけのものだろうか。心の底ではそんな生き方を苦しみ、自分で自分をうらむ結末はないだろうか。なお、この場合、漢文的には「怨む」という文字は、「恨む」と転換されて、そのベクトルははじめて自分に向くものとなる。ではこころみに「利により行えば、怨み多し」を「利によりて行えば、恨み多し」とすればよいのだろうか。もっとも勝手に原文を変えては不遜と傲慢とお叱りを受けてしまうだろうから戯言にすぎないけども。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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