論語読みの論語知らず【第27回】「学びて思わざれば」

AI(人工知能)にも幾つかタイプがあるとのことだ。「特化型AI」は、なにか特定の用途の為につくられたもので、たとえばチェスなどの対戦相手を務めるものがこれにあたる。「汎用型AI」は、人間と同じような理解や行動が可能となる自律AIのことで、何か特定の用途だけでなく幅広いフィールドへと適応すること可能になる。例えるならば、ドラえもんやターミネーターなどのイメージとのことだ。

もっともまだこのような未来型ロボットの実用はされていないが想像くらいならできる。正直なところテクノロジーのことはあまりわからないのだが、「汎用型AI」が仮に実用化されて、「人間と同じような理解や行動」が可能となった場合、その意味するところは人間と同じ様にときに合理的で、ときに非合理的、勤勉と怠惰、マジメとテキトー、真摯さと独善的の狭間をうまく交互にスイッチできるようなものなのだろうか・・・多分それは難しいのだろう。論語は、このような人間臭さを受け入れながらも、人は考えること、学ぶことから向上していくべきとする。その道ゆきを説くものとして次のような有名な言葉がある。


「子曰く、学びて思わざれば、則ちくらし。思いて学ばれれば、則ちあやうし」(為政篇2-15)


【現代語訳】

老先生の教え。知識や情報を(たくさん)得ても思考しなければ(まとまらず)、どうして生かせばいいのか分からない。逆に、思考するばかりで知識や情報がなければ(一方的になり)、独善的になってしまう(加地伸行訳)


「汎用型AI」は、学びて思う、思いて学ぶこともラクラクとこなしてしまうのだろうか。さて、AIが導入されていく世界は、数字や理屈の上では今のところバラ色にみえる情報のほうが優勢の如く感じる(感じさせられる)。たとえば、マッキンゼー・グローバル・インスティテュート(MGI)によれば、

「AIは経済全体の生産性を大きく上昇させる可能性があるとする。諸々の要素を考慮しても、世界の総生産を2030年まで13兆ドルほど増えて、GDPの成長率を年率1.2%ほど押し上げ・・そのインパクトは19世紀の蒸気機関、20世紀の量産技術、そして今世紀初頭の情報技術といった過去の汎用技術に匹敵し、あるいは上回る・・AI分野への投資増によって雇用は30年までに5%増えるし、新たに生まれた富が労働需要を押し上げるとすれば、雇用はさらに12%増える可能性がある・・」


数字だけみれば悪くない話のようだけど、そこから派生してくるはずの豊かさのイメージが正直なところ、まだよくわかない。仮の仮にも「汎用型AI」ができて、人間よりも勤勉で真面目でスマートな未来型ロボットが生み出されるような世界で生きることになったとして、人間はそんな自分たちよりもある意味で優れた「者」たちに囲まれて幸せになれるものなのかどうか。そんな「者」たちを使いこなして、ある部分では楽になって、そのうえで堂々と人としての尊厳を保ち得るのか。


人間は、怠惰でテキトーな部分があり、現実には「学びて思い」、「思いて学ぶ」というのもそれほど楽にはいかない。多分、一生懸命やるほどに苦しみの道すがらとなる。ただ、そんな苦楽を共にしていくところに何かしらの醍醐味があるのかもしれない。一方で、最初からそんな要素を除去されている「汎用型AI」、それが可能かどうかわからないが、そんな「者」たちにどんな道を「人」は用意できるのだろう。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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