論語読みの論語知らず【第50回】「切に問うて近く思う」

札幌の実家に長らく預けていた高校時代、大学時代に読んだ本の数々。正月に久しぶりに帰省したのを機に整理し東京の住まいに送ることにした。おそらくは今後読まないだろうと思う本は除いたつもりだが、それでもかなりの数の段ボールを用意して詰め込むことになり、それ用に本棚も新調した。大学時代のボロボロのテキスト、財布と相談しながら古本屋で購入した分厚い歴史関係や全集、一冊100円で買った中古文庫の数々(哲学、文学、思想、歴史、国際関係、経済学、古典・・)、手っ取り早く知識を学びたくて買った新書の山々、祖父から引き継いだ蔵書、息抜きのつもりで読み始めていつのまにか増えた歴史・時代小説、ハードボイルド小説、ファンタジー・娯楽小説の類、こうして眺めてみると10代から20代前半にどのような知を求めていたのか、なんとなく思い出してきた。


今にして思えばただ乱読多読の類であった。アウトプットすることよりも、インプットすることにものすごく情熱を燃やした。自分の専門でもない難解名著の類に無鉄砲にもアタックし、ページをめくるのが遅々として進まず、悪戦苦闘しながらも読破してみても結局は全貌など理解できなかったことがほとんどだ。それでも、そんな旅の途中でもいくつか話の筋道がみえた気になったときは(それが正しい解釈ではなかったかもしれないが)、知的興奮を覚えたものだし、その刹那は今となっては非常用にしか飲まないインスタントコーヒーも美味く思えたものだ。当時、ヘーゲルやニーチェなども専門の教授に助言を求めることもなく、読み方を知らぬままに独善的独学でいったものだから頭がクラクラしながら読み進めたものだ。こんな勉強の仕方は非効率の極みで今ならまずやらない。とても専門知を体系的に分かったなどとはいえなかったが、おそらくはこんなことだろうと思うくらいにはなった。(まったくもってトンチンカンな理解をしている可能性はあるが、なんでもすぐに入門書から入るだけが学びでもないとは思っている)。さて、論語にこんな言葉がある。


「子夏曰く、博く学んで篤く志(しる)し、切に問うて近く思う。仁 其の中に在り」(子張篇19-6)


【現代語訳】

子夏のことば。知識を広めて十分に記憶し、(発憤して)問題を立てては、自分の分からないことを解こうとする(近思)。(われわれが目的とする)人の道(仁)はその中に在る(加地伸行訳)


論語の中でも結構好きな言葉の一つだ。ちなみ子夏は孔子の弟子たちのなかでは典型的な学者タイプの者であった。博学であり「詩経」などにも深く通じていたとされる。孔子と子夏は詩について談じ合い、孔子はその理解の早さを評しつつ「君となら「詩」を語り合えるね」と言った。

さて、私自身は正直なところ緻密な学者タイプではないのは誰よりも自覚している。そしてここから先の未来だが、インプットからアウトプットへと徐々に足場を変えつつある。引き続き本として書いてみたい(書かせて頂ける)問題・テーマもあり、自分なりに一つの見立てや見方を提示していくつもりだ。そのためにも乱読多読から熟読精読へ切り替わり、熟考へとシフトしつつある。もっとも私の知的基盤はかつて専門指導を受けることのなかった独学に過ぎないから、それが独善的にならぬよう、ここから先は博学な人々の知恵をもっと大胆に借りること、助力を求めることにしよう。そして、その出会いの道すがらで「仁、其の中に在り」に近付くべく努めていたいと思うのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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