論語読みの論語知らず【第53回】「鳥獣はともに羣(ぐん)を同じくす可からず」
動画配信サービスHuluでドキュメンタリータッチな番組「ALONE~孤独のサバイバー」のシーズン1を真面目に1話から最終話までみた。長いドラマだとつい早送りしてみてしまいがちだが、この番組に限っては一切そんなことをせずにみた。全米からオーディションで選ばれた男たち10人が、北米にあるバンクーバー島でそれぞれ互いに接触できない距離におかれ、孤立無援のなか最後の一人になるまで自給自足でサバイバルする番組だ。スタッフは一切同行せず参加者はそれぞれカメラを与えられ撮影を自ら行い記録していく。秋風が漂い始めたバンクーバー島には、クマ、オオカミ、クーガー(アメリカライオン)が何千頭と生息しており、多雨で湿度100%に至ることもある過酷な環境だ。
参加者は衣服以外には10点だけアイテムを選び持っていくことが許され、あとは最後の一人になるまで「自由」に自給自足することが求められる。最後まで勝ち残った者には賞金として50万ドルが与えられるシステムだ。(なお、リタイアしたいものは与えられた衛星電話でその意思を伝えれば救命ボートがやってくる。熊などを撃退するためのペッパースプレーくらいは与えられているが火器(銃)は携帯を許されてない)。参加者の職歴、年齢、出身地などはそれぞれ大きく異なる。
そして、参加者の動機もまたそれぞれ大きく異なる。自分に挑戦を課すこと、タフガイであることを証明したい者、過去を断ち切りたい者、勝ち抜きたい者、賞金を狙う者、番組のなかでカメラに呟きながら彼らのいろいろな本音が出てくる。これから鑑賞する人のためにもあまりネタバレ的なことを書くことは慎むが、きわめて印象的だったのは第1話、一日目の夜明けでリタイアした男だった。
31歳のジョシュはオハイオ州ジャクソンで警察官を職業とし、妻とまだ小さな息子を残しての参加だった。息子に対して人生で欲しいものは自ら勝ち取ることの大切さを示すためにというのが参加の動機だった。チャレンジの初日、小型船から水辺に一人下ろされた直後、一人になって自撮りするカメラに向かってやや不安を呟く。ただ、日が出ているうちに初日の夜を過ごすシェルター(簡易テント)を設営せねばならず、意を決し目の前の鬱蒼と茂る森に分け入り、場所を定めてシェルターを手際よく作りはじめた(参加者はみなサバイバル術のプロ級なのだ)。
その後、付近をもう少し綿密に偵察するために動きはじめたジョシュだがその顔色が変わる。クマがかじりついたと思われる枝の残骸が散らばっていることに気づいたからだ。もう少し進むと山にいるはずもない食いちぎられた頭だけになった鮭の残骸がそこらにあることを発見した。すぐ近くにクマが生息していることを理解したジョシュは動揺を隠せずに目が泳ぐが、今度は視線のわずか先にクマの巣穴らしきものを見つけて「おい、まじかよ」と嘆息した。その刹那、間髪おかずに頭上からガサガサと音が聞こえた。カメラとともに上を見上げると、親クマと子クマが木の上からこちらをのっそりと覗っていた。ジョシュは「ヤバイ!」といってその場を這々の体で去る。
その後、ジョシュは一度水辺に戻り茫然と立ち尽くしていた。自分がビビっていること、森に戻ることに恐怖を覚えていることをカメラに告白し、その表情には挑む前のガッツなどはとうに消え失せていた。ただ無情にも時だけは進み夜が来て、ジョシュは仕方なく森の中のシェルターに戻った。真夜中、自分以外に人はいないにもかかわらずテントの外から物音が聞こえてきた。何かがテントの外側にいてガサゴソ音をたてながら荒い息づかいを立てている。外に置いてあった赤外線カメラには目が光ったクマが2頭近づいてウロウロしているのが捉えられていた。ジョシュはテントの中でビビりながらも片手に斧を握り、辛うじて威嚇の声を出した。クマはそれに一度は退くも、しばらくはうろついてやっとその晩はそこから立ち去った。
翌朝、ジョシュは衛星電話で救助を呼び正式にリタイアした。「あんな怖い経験は初めてだ。家族のもとに帰ることにした。これ以上続けることに価値を感じない」とカメラに向けて語った。その時、救助クルーがやや残酷な質問をした。「リタイアした自分に失望しているか?」、ジョシュは力なくつぶやく、「ああとても失望しているよ。がっかりさ・・でも仕方なかった・・俺は・・残念な奴だ」彼は一晩でリタイアし、そして最初の脱落者となった。
これ以上続きは書かない。ただ、苦しみながらもサバイバルを続けていける参加者と、脱落していく者たちを隔てるものは一体何だろうか。もちろん幸運と不運もあるだろう。ジョシュが下ろされたポイントが違っていれば状況は少し変わっていたかもしれない。ただ、それ以上に鍵になるのは極限で自らを笑うユーモアセンスかもしれない。どうしようもなく過酷な環境で飢えに苦しみ、孤独にさいなまれて、大の男たちでも涙を流しながら、苦しさを自撮りカメラに向かってときどき訴える。絶望してその本当のどん底まで行き着いたとき、それを自虐的に笑い飛ばす力、「そうさ俺はなんてクレイジーな状況にいるんだ(笑)」のような要素がサバイバルを左右した。
回を重ねるうちに参加者たちは徐々に脱落してその人数を減らしていくが、長く生き残る者たちは、それまでの過酷な自然と向き合いつつも、皆それぞれが過去の生き方を問いつつ内省もする。そして、家族を思い、食べ物に飢えながら、愛にも飢えていることを知り、孤独のうちに生きられないこと知り、人間が所詮は社会的動物であることを痛感して折り合いをつけていく。この番組を真剣にみつつ、私は旅を続ける孔子一行が隠者として世の中から距離をとって生きる二人に出会ったときの「論語」の次の言葉を思い出していた。
「長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)耦(ぐう)して耕す。孔子 之を過ぐとき、子路をして津(しん)を問わ使む。長沮曰く、夫(か)の輿(よ)を執る者 誰と為す、と。子路曰く、孔丘と為す、と。曰く、是れ魯の孔丘か、と。曰く、是なり、と。曰く、是ならば津を知らん、と。桀溺に問う。桀溺曰く、子は誰と為す、と。曰く、仲由と為す、と。曰く、是れ魯の孔丘の徒か、と。対えて曰く、然り、と。曰く、滔滔たる者天下皆是なり。而して誰か以て之を易えん。且つ而(なんじ)は其の 人を辟くるの士に従わん与りは、豈世を辟くるの士に従うに若かん、と。耰(ゆう)して輟めず。子路行りて以て告ぐ。夫子 憮然として曰く、鳥獣は与に羣を同じくす可からず。吾は斯の人の徒と与にするに非ずして、誰と与にせん。天下 道有らば、丘与に易えざるなり、と」(微子篇18-6)
【現代語訳】
長沮と桀溺との二人が(鋤(すき)を持つ者とそれを縄で引っ張る者との)対(つい)になって耕していた。孔先生一行がその近くを通りかかったとき、先生は子路に河の渡し場(津・しん)がどのあたりかその二人にたずねさせられた。(先生は子路に代わって輿(くるま)の手綱を持った。子路が近づいてたずねたところ)
長沮「車の手綱を持っとるあの人は誰ぞい」。子路「孔丘(こうきゅう・丘は孔子の名)です」。長沮「あいつが魯の孔丘か」。子路は丁重に「そうです」。長沮「だったら(あちこちぶらついとるし、物知りじゃから)渡し場ぐらい知っとるじゃろ」。子路が桀溺にたずねると、桀溺「お主は誰じゃい」。子路「仲由(子路の姓名)です」。桀溺「魯の孔丘の子分かい」。子路は丁重に「そのとおりです」。桀溺「どこもかしこも乱れとるわな。みなあきらめとる。お主も、人を選んでは浪人しておる孔丘なんかに付いていくより、静かに隠居して暮らしておるわしらに付いてくるほうが、よほどましぞ」と言って、土ならしをして耕すことをやめなかった。子路は去って戻り、報告した。老先生はしらけてこうおっしゃられた。「私は鳥獣とともに暮らすことはできない。私がこの世の人とともに生きてゆくことをしないで、誰とともに生きてゆくのか。乱世でなければ、私は誰とも、ともに(この乱れた世を治まった正しい世に)変える必要はないのだ」と
さて、この番組を真剣にみるうちについつい考えた。この番組にもし私が参加するとすればどうなるだろうか・・と。まず、3年くらい準備期間が必要となるだろう。サバイバルの基本的な技術くらいは知っているがその程度では話にならない。お金と時間をかけてプロの指導のもと技術を習得し実践しながらマスターしていく。仕事もある程度自由がきくから長い間参加しても時間は大丈夫だろう。体力的なものもトレーニングは続けているから基準はクリアしていると判断する。そして、いうなれば精神力、結局のところ技術と同じくらいにこの要素はとても大切だと思う。私個人としては人によって精神力のキャパのようなものがあると思っている。そして、本来、年を重ねるごとに自分のキャパを見極めて弁えられるべきものだと思っている。これは大人と子供を隔てるものの一つだろう。私自身のそれを冷静に見積もり、この挑戦と試練に耐えうるものと仮定してみよう。
さて、そこまで来てふと思ったのは、このチャレンジに参加する動機だ。実のところこの動機がなければこのチャレンジは続かないのだ。自分に問いただしてみた。この挑戦で、タフネスを証明したいか、勝ち抜きたいか、賞金がほしいか、見つめ直したいか、自信がほしいか・・・いやどれも大した動機にはならなかった。むしろ、この社会の中に留まる動機ならいくらでもあることに気づいた。つまりは、この番組の参加者たちを素直に心から称えつつも、私自身はただ称えることで終わりそうなのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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