論語読みの論語知らず【第59回】「君子固(もと)より窮す」

東京でも「緊急事態宣言」の終了が告げられた。4月7日以来、それぞれの領域で多くの戦いが繰り広げられてきた。最前線の医療従事者の尽力はもとよりそれを支える人たちの力もあっての今日であり素直に感謝の念を持ちたい。結果的にこの惨事で亡くなった方の数が欧米のそれと比較して少ないこと、そして緩やかなロックダウンにも関わらず封じ込めが一定の成功をしたことがそれまで批判的だった海外メディアの態度を変えさせた。いまになって「手洗い」「ハグをしない」「大声をださない」「大豆(納豆)」などの慣習文化?に起因するなどとマジメに彼らが言及するのをみてなんというか少し戸惑いと違和感を覚えてしまう。 


iPS細胞の権威でノベール賞科学者の山中伸弥教授などは、日本の感染拡大が緩やかであったことに何か理由があるとして、それを「ファクターX」として呼んでその解明に強い関心をもっておられるようだ。山中氏は感染症や公衆衛生の専門家ではないとしっかりと断わりを入れつつ、科学者の一人として何かをしなければいけないとの思いから自身のHPで情報発信を積極的に行っている。世界中から新型コロナの情報を収集分析して、科学者としての思考とマインドでそれを慎重に消化して紹介している。その態度には率直な誠意を感じるもので深く敬意を払いたい。


さて、人間の疫病との戦いはなにも今回に始まったことではない。そして科学的思考といったものがなかった時代にもそれはあり、その時代の流儀でもって処置対策をした。古い話でそして非科学的な話をする。前回、「日本書紀」のことについて触れたが、今回もそこからの一文を引用したい。


「是に、疫病(えのやまひ)始めて息みて、國内漸(やうや)くに謐(しづま)りぬ。五穀既に成りて、百姓(おほみたから)、饒(にぎは)ひぬ」(「崇神天皇七年十一月」) 


【現代語訳】

ここで疫病ははじめて収まり、国内はようやく鎮まった。五穀はよくみのって人々はにぎわった


このあたりのことを「日本書紀」によってかいつまんで話しをすると、崇神天皇が即位して五年目に国内で疫病が発生して多くの人々が亡くなった。その後も災いは続き、天皇は自分の政治に欠陥があるので神々から咎めを受けていると考えるようになった。そして、作法に則り占いその原因を求めていると、ある姫君に神が降りられて「よくよく私を敬い祭れば必ずや鎮まるだろう」との託宣がおりた。天皇はいずれの神様か問えば、「我はこれ倭国(やまとのくに)の域(さかい)の内に所居る神、名を大物主神という」と答えた。そして、その託宣に従って祭祀を一度試みるもその効果は表れなかった。すると天皇は斎戒沐浴(さいかいもくよく)してあたりを掃き清めた後にさらに祈りを捧げた。すると夢に大物主神が出てこられて、わが子の大田田根子(おおたたねこ)をもって祭を執り行えば鎮まるだろうと述べた。天皇は大田田根子を探し出して祭らせたところ疫病が終息したという。


この「日本書紀」のこの記述を現代に生きるわれわれがただの物語と扱うか、何かしらの史実的要素を含むものとみるか、深いメッセージを込めているものとするかなど如何様に解釈するともそれぞれの自由だ。(学術学問的研究を積み重ねたところで決め打ちの答えはないと思う) ただいずれにせよ読んでいて行間からはこれらの祭祀にたいして一生懸命の誠意を重んじ行ったようには伝わりくる。そして、話は戻るが今回のコロナに際して多くの人もまた一生懸命にそれぞれ誠意をもって尽くし耐えたのもまた真実の一つではあったと思う。ただ、一方でそうではなかった者たちもいるだろう。いつの時代も火事場泥棒はいるものだし、いちいち目くじらは立てる気もない。しかしながら、この数カ月の間、メディアに出演する有識者の肩書を持つ者やコメンテーターの一部は明らかに他意と偏見と欲望を交え、専門的知見と理性を欠いたままに感情に身を任せた発言が多くみられた。さらにそのうちの一部はこのコロナ禍のストレスに心のバランスを欠き、そのはけ口を求めてとばかり激高していたようにも思うのだ。普段であればそうした正体を現さぬ者たちも知らぬうちにパニックになり、それを暴露していたようだ。さて、論語に次のような言葉がある。


「明日 遂に行(さ)る。陳に在りて糧を絶つ。従者病みて、能く興つ莫し。子路慍みて見えて曰く、君子も亦窮すること有るか、と。子曰く、君子固(もと)より窮す。小人は窮すれば斯ち濫る、と」(衛霊公篇15-2)


【現代語訳】

その翌日、孔先生一行は、いろいろとあった衛国から、出国となった。そして、陳国に滞在の折、困難に陥り、(七日間も)食料がなかった。弟子たちは飢餓で立つこともできない状態となった。子路はむっとして老先生に食ってかかった。「教養人もまた追いつめられることがあるのですか」と。老先生はお答えになられた。「教養人とて、もとより窮することがある。ただ、知識人は追いつめられると(見識がないので)右往左往するのだ」と(加地伸行訳)


知識を有してそれを生業とする者たちに誠意を期待することが求め過ぎだと言われてしまえば返す言葉はない。この数カ月の間、政治が繰り出した処置対策が満点などとは言わないし批判検証はされるべきだろう。だが、公共の電波で発言したものたちのそれもまた批判検証はされるべきだとは思うのだ。無論、自ら省みて戒めることができればなおよい。

結びに「君子固より窮す。小人は窮すれば、斯ち濫る、と」の別現代語訳を添えて終わる。「君子だって困る。だが、小人は困ると己を失う」(五十沢二郎訳)


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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