論語読みの論語知らず【第70回】 「未だ成らざること一簣にして止むは」
仕事で大阪へと向かう新幹線の中で隣にすわる友人が最近みた「NHK日曜美術館」の話をしていた。番組では画家の神田日勝の作品を取り上げており、日勝の絶筆となった「馬」、未完ゆえにむき出しのベニヤ板に馬の半身だけが描かれたところで終わっている作品、それに深い感動を覚えたので是非ホンモノを観に行きたいといった。聞くと札幌にある近代美術館で特別展示が催されているとのことで、ならば一緒に行こうと話は決まった。次の週末に新千歳空港に降り立ち札幌駅へと快速で向かい、駅周辺で美味い味噌ラーメンを食べてから美術館まで歩いて行った。いろいろと話題が尽きることのない間柄であるが、美術館では別れてバラバラにそれぞれのペースでじっくりとみることにした。
神田日勝は1937年に東京練馬で生まれたが、7歳のときに東京大空襲の戦災から逃れるため、一家で北海道は十勝鹿追(とかちしかおい)へと入植をした。日勝は子供のころから絵に興味を持ち、中学に入り間もなく油絵を始めたとされる。日勝には一明という兄がおり、やはり絵に才を持ち後に東京藝術大学へと進学している。日勝は家庭の事情もあり進学をせずに中学を卒業して農業を継ぎ、それに勤しみながら並行して油絵を描くことに没頭していった。1970年に32歳の若さで逝去することになったが、それまでの間十勝の雄大な大地で土を耕しながら、絵を描き続けた人だった。生前、その作品がいくつかの賞をとり、その名が北海道に徐々に知られるなかで、その歩みから「農民画家」といわれもした。ただ、当人はその呼ばれ方を好まずに「農民である。画家である」と立ち位置をわけて語ったという。
私は美術館に展示されている作品をじっくりとみてまわった。ドラム缶や木箱の中に積もるように棄てられた空き缶などを描いた「ゴミ箱」、一日の作業に疲れた男二人がストーブのまわりにうずくまりながら暖をとり休む「飯場の風景」など不思議と強い印象を放つ作品などが展示の前半にあった。ところどころでこれらの作品はだれそれの影響を受けたといってご丁寧な解説と別の画家の作品が横並びで展示されている。ただ、正直なところその解説は私にはまったくピンとこなかった。展示の中盤くらいになると馬や牛を題材にした作品へと切り替わってくる。「馬」は厩で休む農耕馬を描いており、それは馬具や農具などを一切背負っていないいわば裸の馬だった。馬の目も柔和でありそこには酷使されている悲痛さなどは一切漂っていないのだ。そんなことを感じながら「牛」の前に来た時に足が止まった。それは農耕で使われる日々から死を迎えることで解放された牛の姿だった。牛は顔と脚を寄せるようにして横に向きに鎖につながれたまま寝かされている。牛の表情は穏やかで目は閉じられたままだが、その腹は横一文字に鮮やかに斬られて開腹されており、腹の中は臓物を表現する赤とピンクでキレイに描かれているのだ。(腹を割く理由は死後のガスによる膨張を防ぐためだ)
優しく描かれた牛の死顔と鋭利に掻っ捌かれている真っ赤な腹は妙なコントラストだ。だが、その絵をしばらくみていると私はこの作品をたとえばリビングの目立つところに飾るのもよいなとの思いに駆られた。その感情に気づいたときに一つの合点がいったことがあった。
美術館を後にした私と友人は近くの品のいいカフェに赴いた。それぞれ感じたことを言語化して話し合う作業を行う。実のところ連れ立って美術館を見に来るとこうした愉しみがある。私は自分の感じたことを述べた。
「神田日勝氏とは、光と闇という言葉でいえば、光は描けても、闇を描くことができなかった人だと感じた。それは氏がもしかしたら、根本的に闇という概念が欠落していたのではないだろうか。「牛」を見てそう強く感じたのだが、死して腹を捌かれている牛がどこか気高く品よく描かれている。ただこれはこのようにしか描けなかったのではないだろうか」
あくまでも素人の勝手な感想だが、「牛」をみてそう合点がいったのだ。そうしてみると展示されている日勝の作品すべてに共通するのは闇が無いように思えたのだ。私はもう一度展示の最初にもどり改めて鑑賞するほどにその確信はつよくなった。日勝はその作風画風が、それほど長いキャリアでもなかったはずなのにガラリと何度も変わっていく。窮極のところは当人しかわからないことだが、その変遷はどこか闇を表現できないこと、自分のなかに欠けているそれを求め続けての結果だったように思う。人は誰しも心の中に光と闇を持つだろう。だがときにどちらかを感ずることが欠落することがあるのかもしれない。それが良い悪いなどいうことをアートに持ち込むつもりはない。ただ、妙な表現だが闇を求め続けての旅路が神田日勝という人に作品を描かせ続ける原動力だったとの感想を抱いている。美術館でもらったパンフレットには「結局、どう云う作品が生まれるかは、どう云う生き方をするかにかかっている」との言が記載されていた。完成された作品「馬」と未完絶筆の「馬」とではカタチの違いはあれども、そこにはカタチをこえ闇を探しての同じ道中であった思えば通じるものを感じた。ときに人を強烈に惹きつけるものは巧みに光と闇のバランスがとれていたりもする。日勝は自分のなかに欠けている闇を表現するべく全力で駆け抜けたのだと納得している。ふと論語の一文を思い起こした。
「子曰く、譬えば山を為るが如きに、未だ成らざること一簣(いっき)にして止むは、吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如きに、一簣を覆えして進むと雖も、吾が往くなり」(子罕篇9-19)
【現代語訳】
老先生の教え。ものにたとえてみると、山を作ろうとするとき、あと簣(もっこ)に一杯の土で完成するというのに、そこでやめてしまったならば、やはりやめたということ(に変わりはない)。同じくたとえてみると(凹凸のある)土地を平らかにしようとするとき、たった簣(もっこ)に一杯の土を(高いところから低ところへ)入れたとしても、とにかく始めたのであって、それはやはり進むことになる(加地伸行訳)
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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