論語読みの論語知らず【第100回】 「命を知らざれば、以て君子と為る無きなり」

「論語」について書かれた本は、ある程度の売れ行きが平均的に見込める。いわゆるモノを書く人のなかで、論語を題材にして本を書きたがる人は結構いる。以前そんな話をある編集者から聞いたことがある。価値観が入り乱れる現代社会において、少なくとも論語がいまでも一定の価値を見出されている証とはいえるかもしれない。ただ、孔子や論語の立ち位置や評価は、長い歴史のなかで転変してきており、現在のような形になった成立過程なども実のところ結構複雑であり、それが学術的研究なるものを生み出してもきた。


孔子が亡くなってから数世紀の時を隔てた漢の時代、孔子の立ち位置はまだそれほど高いものではなかった。当時の学問・儒教といえば「五経」が中心であり、堯・舜、禹、周の文王、武王、周公などが示した「先王の道」を、漢王朝の皇帝が引き継ぐという体裁が大切にされるなか、孔子がそこに入り込む余地はあまりなかった。孔子は「五経」の編纂をしたとされてはいたが、その関与を具体的に示すものは乏しく、当時は「五経」がそれぞれ独立して個別に学ばれることが主流だったこともあり、孔子の存在を大きく感じさせるのは難しかったようだ。孔子が学問の場などで祀られるようになったのは、長きにわたった漢が潰えた後、晋の時代に入ってからであった。孔子廟のような格式でその像をつくって祀られるのは更にその後の南北朝時代を待たねばならず、孔子が亡くなってから10世紀くらいの時を経ている。 


「論語」と呼ばれるようになったのは漢の時代であり、その時点では「古論」「魯論」「斉論」などの3つの系統が存在し、それらが合併されていくなかで二十篇の今日の形式になったとされる。特に、漢の末期に出た鄭玄(じょうげん)という学者が、この3つの系統の論語を編纂したことが大きいとされているが、鄭玄は勝手にそのテキストを改変などはせずに、合併合成に際しては伝えられている原文の形を忠実に残すことに努め、そのままでは意味が難解なところは解釈・注釈によって整合性をつけるといった手法を採用した。原文の不備、一部の脱落、前後が入り乱れた錯簡などを許容せずに、解釈によってどうにか意味が通じるようにしたこのアプローチは、その後も長らく学者たちの思考や手法を縛ることになり、結局のところ、学問は新しいものになり得ず、古いものを守るといった気風が強くなった。


そして、解釈・注釈にまつわるものが厖大に積み重なり、それらをもとに訓詁学といった注釈による解釈学の形が生まれることにつながった。この学問でどのようなことが論じられてきたか、手がかりがなければ踏み込むのが難しい領域ではあるが、幸いにも日本では優れた学者による論語研究の蓄積は膨大である。たとえば、現代に限っても加地伸行氏、宮崎市定氏などの著作集や全集に含まれる専門的研究や論文は、根気さえあればある程度読みこなすことはできる(一定のラインからは専門知識がないと難しいが、細部はともかく大枠の理解はふつうの知識で十分に可能だ)。 


ところで、「象牙の塔」という言葉がある。もともとは、世俗から距離をおいて知的探求を行う肯定的な表現であったが、いまでは現実から逃避し閉鎖的に研究に勤しむといったどこか否定的な意味合いでも使われる。個人的なことだが、論語について書かれた文献・論文を静かに読むとき、それはとても贅沢な時間だと思っている。ただ、同時にどこか自らはいま「象牙の塔」にいるのだと意識してもいる。論語の専門研究者にはなることはできない私は、両方の意味合いで「象牙の塔」を感じつつも、ずっとそこに留まることは許されない。したがって、学んだことを結局のところ外の世界へと活かしていくベクトルを模索しなければならないと常に思っている。

論語の最初は次の一文で始まる。


「子曰く、学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや。朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず。亦た君子ならずや」(学而篇1-1)


【現代語訳】
子曰く、(礼を)学んで、時をきめて(弟子たちが集まり)温習会をひらくのは、こんなたのしいことはない。朋が(珍しくも)遠方からたずねて来てくれるのは、こんなうれしいことはない。人が(自分を)知らないでもうっぷんを抱かない。そういう人に私はなりたい(宮崎市定訳)


この一文は孔子の晩年の心境と解釈されることが多い。他方で、孔子が50代で祖国である魯の政界に突如として現れてくる前の40代、その雌伏の時代の心境を表現したとの解釈もある。加地伸行氏などは、「この文を晩年の落ちついた心境を示すものと解釈しない。この文全体に、私は沸沸と煮えたぎる孔子のエネルギーを読み取る。・・・まだ社会からは認められないが、他日を期してじっと耐え、ひそかに一剣を磨いている熟年の孔子をそこに見る」と著作のなかでいっている。

そして、論語の最後は次の一文で終わる。


「孔子曰く、命を知らざれば、以て君子と為る無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり」(堯曰篇20-3)


【現代語訳】
孔先生の教え。(人間は、神秘的な大いなる世界における、ごくごく小さなものであるから)自分に与えられた運命(命)を覚らない者は、教養人たりえない。(人間は社会生活をしているのであるから)社会規範(礼)を身につけていない者は、人の世を生きてゆくことはできない。(人間はことばを使うのであるから)ことば(言)について理解できない者は、人間を真に理解することはできない(加地伸行訳)


全二十篇の結びとなるこの言葉に論語のエッセンスが凝縮されているようだ。論語をまとめた孔子の弟子たちもそのことをかみしめて、この一文を最後に置いたのだろう。本文では「命」「礼」「言」の順で書かれているが、個人的には逆の順番で自らの肚に落とし込んでいる。すなわち、「言」を自らがきちんと使いこなさなければ、人への敬意を覚えずに「礼」も身に付かない。「言」も「礼」もなければ、所詮は「命」などは知りえない。そして、「言」「礼」は個人の努力量でどうにかはなると信じているが、中年・壮年になって「言」「礼」を弄ぶことを覚えてしまえば、これまた「命」を知り得ずに終わるか、知ったところで恐れ慄きながら「言」「礼」で誤魔化して終わることになる。願わくは「言」「礼」を弄ばずに身に付けて、社会の中での「命」を弁えられたらと自らを戒めている。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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