温故知新~今も昔も変わりなく~【第99回】 野中郁次郎『『失敗の本質』を語る~なぜ戦史に学ぶのか~』(日経プレミアシリーズ,2022年)
ビックネームとなった経営学者が半世紀にわたる自身の知的営みとその変遷を余すところなく告白する。過去の失敗や未熟さに触れつつ、その改善のために新たな領域から別の知性をいかに導入して考えてきたか、その手の内も包み隠さずに明らかにしてくれる。最近、発売された経営学者・野中郁次郎氏の『『失敗の本質』を語る~なぜ戦史に学ぶのか』はそのような本だ。
本書の存在を知ったのは、私が明治大学リバティアカデミーで「『失敗の本質』を軍事・経営戦略の視点から読み解く」(教養としての戦略学)と銘打った連続講座を担当している最中であった。この講座は『失敗の本質』を分かりやすく伝えるのではなく、はっきりといえばその可能性と限界を明らかにし、批評的に講ずるのを目的にしていた。私はこの講義のために半年近くいろいろと資料や文献を読み込み、考えながら準備をしてきた。それ故に、野中氏が自身の知性の旅路を告白している本の発売を知ったとき、あと半年早ければという気持ちを抱きつつ、とりあえず、自分なりに準備した講義が終わるまでは読まないことにした。
さて、この本は野中氏が聞き手に語り掛ける体裁で書かれている。その序章では、経営学を軸とした学者人生の根っこには幼少のときの経験があったと率直に告白している。
「・・私には従軍の経験はありませんが、幼少期に強烈な体験をしています。戦時中に、故郷の東京から、母の出身地である静岡県に疎開していた小学校4年生のときでした。・・・そんなある日、木陰に身を隠しながら帰宅を急いでいると、低空飛行の戦闘機が近づいてきました。松の木の下に逃げ込みましたが、機銃掃射の音が激しくなったので危険を感じ、トウモロコシ畑のほうに飛び移りました。しばらくすると松の木は炎に包まれ、根元から折れて倒れてしまいました。あっという間の出来事でしたが、元の場所にとどまっていたら命を落としていたかもしれません。低空飛行の艦載機のパイロットの表情が見えました。笑っているようでした。この瞬間、「いつか必ずアメリカを倒す」という強い怨念が生まれたのです。「米国へのリベンジ」は私の人生を貫く太い幹となります」(序章より)
長らく平和を享受できた裏返しなのか、戦争も安全保障もどこか観念論の独壇場になりやすい現代日本において、人間の尊厳も誇りも圧倒的なパワーによって凌辱され、後にわき立ってくる個を超えた強烈な復讐心の如き感情を経験することは少なく、想像だけでも容易ではない。理知的な野中氏が語気を強くして「怨念」という単語を使うほどに、その体験が生じさせた感情は深く長らく心に留まったようだ。ただ、それを時とともに研究意欲といったエネルギーに換え、進んだ知識を得るべく米カリフォルニア大学バークレー校で経営学を修めて帰国する。そこから、米国へリベンジするよりも前に、まずはなぜ日本が負けたのかを経営学の視座から解明するべく『失敗の本質』プロジェクトへと繋げていく。
なお、野中氏は留学当初は、当時最先端であった経営学の知識を体系的に学び理論武装をすることで満足するつもりであったが、その歩みのなかで理論化のノウハウに関心を持ち、自ら理論をつくることを志向するようになったという。本書では社会科学の視座からどのように理論化がなされていくのか、その思考過程などについても具体的に言及している。なお、『失敗の本質』は、野中氏が学問活動のなかで自ら発展させた理論を分析ツールとしてぶつける機会であったという。
「こうして私は、サイモン理論とコンティンジェンシー理論をベースに共同研究者と議論を重ねながら「統合的コンティンジェンシー理論」をつくり上げました。時々刻々と変化する外部環境に、組織はどのようなメカニズムで対応し、生き延びていくのかを解き明かしています。・・・日本軍の失敗の研究は、自らつくり上げた理論が有効かどうかを試す絶好の機会でした」(第1章)
結果的にロングセラーとなった『失敗の本質』ではあるが、その研究の問題点も具体的に本書の中で語っている。日本軍という組織が環境の変化に巧く対応できなかったことを、自らの理論を使うことである程度あぶり出すことには成功した。ただ、どうすれば日本軍が勝てたのか、なぜ米軍は日本軍に勝ったのかを分析するには、同理論は不十分であったという。
その後も、研究とともに自ら理論をつくり出す野中氏は『知識創造企業』『アメリカ海兵隊』『戦略の本質』『国家経営の本質』『知的機動力の本質』『知略の本質』など組織論に関する著作を数多く出版してきた。これらが生み出される過程でどのように物事を考えてきたか、新たに何を学べばよいのか、どうすれば組織論はより深化させられるのか、その知の営みを告白する。経営学だけを学ぶことに満足せずに、戦略論、戦略思想(孫子、クラウゼヴィッツ、ルトワックなど)、哲学(アリストテレス、認識論、現象学など)なども積極的に学び、それらのエッセンスを取り入れていく。これがときに共同研究者から反対もされるが、それでもより良い経営学の理論を構築するためにとスタンスを変えなかった。
「・・知識創造理論を構築するにあたって哲学の知見を多く取り入れています。知識の問題に踏み込むと、やはり哲学の問題に行きつきます。そこで、情報から知識へと議論を展開していったころに、本格的に哲学の勉強を始めたのです。『知識創造の経営』でも哲学やポランニーに触れていますが、その後も勉強を続けました。『知識創造企業』に哲学の章(第2章)を設けたいと提案すると、竹内(共同執筆者)は反対しました。経営学の本には哲学はいらないという意見でしたが、何とか押し切って残しました。出版後、世界で反響を呼び、普遍性のある本として評価されたのは、第2章のおかげだと思っています。あの章がなければ、ケーススタディの本で終わったかもしれません」(第3章)
野中氏は知的好奇心のかたまりであり続けてきた人なのだと思う。善く学び、良く知るためであれば、いわゆる専門外とされるところにも構わずに進んでいき、使えるエッセンスを掴もうとする。ただ、いかに賢い人でも今日において全てに通暁することは不可能である。だから、野中氏の取り上げる哲学、戦略思想などのエッセンスはときに一面的であり、自説を補強するために都合よくそこを切り取り解釈した「断章取義」的だともいわれるかもしれない。哲学や戦略思想などをプロパーとして追求してきた人などであれば、適当な文献や論文を使いながらそのような批評をすることは実際難しくはないだろう。
たとえば、『失敗の本質』の後続となった『戦略の本質』では、「戦略は「賢慮(フロネシス)」である」として、その「賢慮」の概念をアリストテレスの『ニコマコス倫理学』に根拠を置いている。この引用に大きな問題があるとは思わないが、アリストテレスという人が書き散らして残したものを色々みていくと、その「賢慮」の中身もかなりの振れ幅が出てくる。したがって、そこからアリストテレスを揺さぶり、『戦略の本質』の分析枠組みを揺さぶるなどは月並みではあるが可能となる。
もっとも、野中氏はそのような可能性など承知の上で、気にせずに知的営みを続けてきた人なのだろうし、哲学や戦略思想が専門家と称される人たちの独占物でなければならない理由などないから、どんどん自由にそれらも使うべきだとも思っている。私自身は経営学については独学であり、これまで野中氏が出された主要な著書は何度も読み返しながら学ばせてもらってきた。これらを時系列に読み込んでいくと、氏が若い頃に強い関心を持った理論化のノウハウや技法がどのように変遷してきたかも掴むことができる。
私の周辺でも氏の著書を読んでいる人は結構いるが、わりと聞く感想に面白くはあり活用もしたいが、理論が目立ちすぎて掴みにくいというものがある。言いたいことはわかるのだが、野中氏の本の読み方にはコツがあって、そこを踏まえておけば今少し読みやすくなるのだ。それを簡潔にいえば、理論化されていることを掴もうとする以上に、理論化することを諦めているポイントや領域を見つけながら読んでいくというスタイルなのだ。要するに何を棄てているか、書かれてないことをあれこれ想像しながら自由に読んでもいいのだ。この外堀から埋めていくようなアプローチも併用すれば、全貌がより見えてくると思っている。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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