温故知新~今も昔も変わりなく~【第106回】 大木毅『独ソ戦~絶滅戦争の惨禍~』(岩波新書,2019年)

ウクライナ戦争の状況は変わり続けている。現在は、ウクライナ東部を巡る攻防戦が焦点となり、ウクライナ側の攻勢が目立つが、これから先はどのようになっていくか絶対確実なことは戦争にはない。ロシアの侵攻から間もない頃、ウクライナのゼレンスキー大統領は、18~60歳までの男性に出国を禁じ、総力を挙げて対抗することを明らかにした。それに呼応するかのように、首都キーウに迫るロシア軍を前に、市街地戦を覚悟した市民たちが各所にバリケードや火炎瓶を準備している姿がニュースで何度も報じられていた。


侵略に対して国家は軍・民を問わずあらゆるリソースを使って徹底抗戦をするといった壮絶なものを連日にわたって見せつけられ、このことは日本にも大きなインパクトを与えたようだ。TVの報道・情報番組などで、普段はタカ派論客としてコメントをする知識人たちのなかにも、ウクライナは国民を巻き込んだ徹底抗戦をせずとも良いのではないか、ある程度妥協して講和してはどうかといった主張をするシーンがあった。


こうした意見が理屈として成立するのは十分にわかるが、それが、戦争が持つ振れ幅を最大限に考慮した上での意見であったかを突き詰めるのは大切だと思っている。侵略に対して容易な妥協や即時の講和を求めることが、結果として将来ベターな選択となるか不透明さは常にある。目の前で失われていく生命だけを全てと考えれば、即時講和(ときに降伏に近い)の一択のみもある。ただ、それを受け入れた後、強い立場にある侵略国が弱い相手国を一方的に隷属化して、将来、その国民をまったく人間並みに扱わない可能性をどう天秤にかけて考えるべきだろうか(他方で、戦争を継続することで数多の生命が失われていくのは目の前の確実な事実でもある)。


日本に限っては長きに渡る平和を享受してきており、それ自体はとても有難いことであるのは言うまでもない。他方で、戦争とは何かを知る感度は確実に鈍くなっているのは否めないように思う。戦記や軍事史などを好んで読む人などは別として、日本で戦争といえば大東亜戦争を想起する人が多い。それらは太平洋の島嶼で繰り広げられた戦闘において、常に多勢に無勢を迫られる日本陸軍、乾坤一擲の勝負を求めては次第にすり潰されていく日本海軍、激戦となった沖縄戦、広島・長崎への原爆投下などのイメージに凝縮されるのが一般的だろう。その一方、巨大な大陸で数千キロにわたる戦線がつくられ、数百万の軍隊が、数百キロを機動して互いにつぶし合う壮烈かつ大規模な戦争といった存在を、日本人がイメージするのはそれほど容易くはないともいえる。


大東亜戦争と同時期、ドイツとソ連の間で繰り広げられた「独ソ戦」は、まさしくそうした熾烈かつ大規模な野戦の連続であった。この独ソ戦にスポットを当て、一流の筆力でコンパクトにまとめ上げた本が『独ソ戦~絶滅戦争の惨禍~』(大木毅・岩波新書)である。かなり売れた本なので読まれた人も多いと思うが、著者である大木氏は独ソ戦をそれぞれの段階を区切りながら、そこにどのような戦争の変質があったのか、コンセプトの違いを明らかにしつつ書き進めている。その構成は巧みでとても読みやすいのだ。


80年以上前に起きた「独ソ戦」ではあるが、現在のウクライナの国土を含んだソ連とドイツといった広大な空間で繰り返された「古典的戦争」、これを知るのは戦争が持つ振れ幅の一方を学ぶことにつながる。それは今起きているウクライナ戦争を深く考える上でも大切な知見を与えてくれる(独ソ戦と現在のウクライナ戦争での相違点や共通点を比較して考えてみるなどのアプローチは、現実を考える上での一つの知見となる)。


「・・・独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある。およそ四年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。・・・」(はじめにより)


大東亜戦争では日本の戦闘員・民間人だけでも300万人以上が犠牲になったことはよく引用される(開戦前の日本の総人口は7138万人)。この数字は悲惨に過ぎるものだが、独ソ戦を含む第二次世界大戦はこれを大きく上回る。ソ連側の戦闘員866~1140万人が死亡、民間人450~1000万人死亡(軍事行動・虐殺などによる)、加えて、民間人800~900万死亡(疫病・飢餓)、合計すると2700万人の生命が失われている。(ソ連の総人口は1億8879万3000人・1939年)。ドイツ側は戦闘員444~532万、民間人150~300万人の生命が失われている(ドイツの総人口6930万人・1939年)。


これらの数字を眺めるだけでも暗澹たる気分になるが、本書では「はじめに」でのこれらの数字に言及し、本章で独ソ戦がどのような性質を持って進んでいったかを展開していく。著者の大木氏は、この本の全体を貫く著者の論理(歴史観)として、ドイツ側から見た対ソ戦は、当初、ソ連本土への侵攻とソ連軍の撃滅を狙った「通常戦争」の側面が強く出たとする。それが、戦争が激化していくなかで、ドイツが生存し繁栄するためにあらゆるリソース(労働力・資源・食料)を奪い取る「収奪戦争」の側面が強まり、ドイツが苦戦し始めるにつれて、どちらかが倒れるまで続く「世界観戦争」(絶滅戦争)としての側面が末期には強まったとする(「通常戦争」「収奪戦争」「世界観戦争」の3つが並行して進むなかで、戦況によってこれらの重心が変化したとしている)。


他方でソ連側から見た対独戦は、共産主義を守ることが祖国の守りにつながるといった論理をつくり、イデオロギーとナショナリズムを一緒くたにして、国民の総動員をかけていった。これらは対独戦で大きな力を与えたが、他方で次第に無制限の暴力を許容し、東欧、中欧へそれらを拡大していくものになったとの見立てを行っている。著者は、こうした考え方を軸として「バルバロッサ作戦」に始まる独ソ戦が、やがて攻勢限界に達し、スターリングラードの戦いといった局地でとん挫し、今度はソ連側からの大規模反攻が開始され、ドイツ軍が占領し収奪しつくしていた領土を奪還、次にドイツに攻め込みベルリンを陥落させるところまでを展開している。軍事学の視座から見ても重要なエッセンスは落とさずに書き進め、その過程で焦土作戦、ジェノサイド、収奪・略奪でどれだけの民間人が犠牲になったかその悲惨さもしっかりと言及しているのだ。


このエッセイで細部は書けないが、著者が、本書の前半で展開している一つのポイントは是非挙げておきたい。ナチス・ドイツにおいてはヒトラーが軍事的合理性を無視して作戦を構想し、後方に居ながら最前線の指揮を執りたがり、作戦細部に口出しするマイクロマネジメントが過ぎたとされる。そして、このことがドイツ軍の敗因の一つとされがちでもある。著者はこうした傾向について、イメージの先行があり、「死人に口なし」とばかりにヒトラーに責任の多くを擦り付けている部分が否めないという。


たとえば、バルバロッサ作戦の原型になった計画は、ドイツの陸軍総司令部、国防軍最高司令部などが積極的に関与してつくり上げたものであり、それはヒトラーが対ソ戦を正式に決定する以前から練り上げていた事実を詳らかにしている。なお、古今東西、軍隊や軍事組織が敵国(仮想敵国)に対して、どのような軍事オプションがあるかを考えて、それを作戦として構想しておくのはある種当然である。指摘されるべきなのは、ドイツとソ連の彼我の能力や作戦計画について、プロ軍人たちは極めて甘い見積もりをもとにつくり上げたという事実である。要するに、自らの戦力を過信する一方で、相手のそれを軽侮してしまい、それらが兵站などの準備を不十分にして、結果的には現地の略奪・収奪を常態化させていくことにもつながった。


独ソ戦の最中、ヒトラーが軍事的合理性を欠いた判断と命令に固執したことで敗北した局面が数多ある。他方で、軍事的合理性に長けているはずのプロたちが固執した作戦が、結果的には敗北しているものも複数あったことを本書では指摘している。そして、それらもヒトラーの独断によるものとされ、国防軍はその命令に仕方なく従ったのみとのイメージの糊塗をなすような戦記・歴史書などが巷に出回ってきた事実に触れている。 


さらに、もう一点だけ付け加えておきたいのは、この軍事的合理性という言葉についてである。本書ではその定義について細かな言及はないが、一般によく使う「合理性」という単語に、「軍事的」なる枕詞がつき、「軍事的合理性」に変わった刹那に、その性質はときに極めて厳しいものとなる。本書の後半では、独ソ戦の後段、ドイツがソ連から撤退戦を行うなかで採用された「焦土作戦」について説明するが、これも「軍事的合理性」に基づいたものから導かれたとしている。なお、戦後、この作戦のドイツ側指揮官は戦犯として裁判にかけられており、検察は次のように告発している。


「・・・結果として、彼は、1944年春にはその麾下にあった諸軍をうちひしぐことになる破局を、一年間もしのぎきりました。それは、以下のごとき処置によって、でありました。すなわち、人間にとって有用なものや住まいを容赦なく破壊し、あらゆる家や建物を打ち壊し、住むところのなくなった民間人を食物や衣類なしで曠野に追いやり、数百マイル以上も移動させ、歩かせ、ドイツ軍のために一日10時間働かせたのです。かかる行動のうちに、強制移送を逃れようとして射殺された者を除いても、数千もの無辜の民が餓え、野ざらしになって死んでいったことは間違いありません」(第5章より)(なお、ドイツ軍だけでなく、ソ連軍もまた同様の手段を採っている)


なお、これら「焦土作戦」が繰り広げられたのは現代のウクライナ領土内でもある。こうした戦争の悲惨な側面が今日のウクライナに歴史としてどのくらいインパクトを残しているかはわからない。ただ、80年近く前に大規模で壮絶な古典的戦争を経験してきているのは事実なのである。


最近はハイブリッド戦争という言葉が流行となっており、そうした視座からウクライナ戦争が語られることが多かった。確かに戦争の手段は大きく変わったが、その本質まで変わったとはいえないと思っている。現代で主流とみえる戦争の手段だけに着目して考えるのではなく、戦争の振れ幅というものを常に意識し、その極みの悲惨なものも十分に知っておくのは必要だろう。独ソ戦に比べて、現在のウクライナ戦争はまだましなどと言いたいわけではない。ただ、戦争の振れ幅の一方の極みを知りつつ、他方の極み、戦争反対による即時講和もまた後に隷属化の強要となり、ダメージとしては「焦土作戦」並みに悲惨な結末を、弱者が押し付けられないとの保証がないのもまた事実だ。この振れ幅と着地点を巡って戦争の各種矛盾が孕みゆくことになる。戦略では「戦わずして勝つ」が理想とされ、それをときに楽観し過ぎる傾向がある。他方で、「戦わずして敗ける」ことの現実について悲観が十分ということはあまりないようにも思えるのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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