温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第128回】 大森荘蔵『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫,1994年)

一風変わった歩みの哲学者

かなり前に神保町の古本屋で購入した1冊が大森荘蔵の『知の構築とその呪縛』(文庫版)だった。何気なく手に取り目次をパラパラとめくり面白そうだなと思ってレジに持ち込んだのでほぼ「ジャケ買い」に等しい。しばらくの間「積読」のまま机上に放置されていて、読み始めてからは出張先の旅の友として持って行きもしたが、ヒップポケットに入れていたことで体重に圧し掛かられ、ときにコーヒーを粗相したりして随分とボロボロにしてしまった。ただし、それと引き換えに学んだことは多い。大森荘蔵は哲学者として名を知られた御仁だが、元々は物理学を学び、その後で哲学へと転向したという少し変わった歩みといえる。本書では、世間一般で説得力があるとされる「科学的」見方や考え方が見逃しがちな問題を提起しており、文庫版のはしがきで次のような趣旨のことを述べている。


この本で目指したいのは、日々の生活から遠いところに存在している難しい学問としてみられがちな自然科学を、日々の生活で用いている常識に密接して繰り広げられる「より精しいお話」として扱うべきものとして論じることである。言い換えるならば、日々の常識を「略画」にたとえられるとするならば、科学の領域は「密画」のようなものであり、常識から科学が生じて現代の科学へと至る流れを、略画から密画への展開として扱いながら、可能なかぎり歴史的事実に従って述べてみたい。略画的常識から密画的科学へと発展していくなかで、人間は多くの恩恵を受けることができた。ただ、その過程において感覚や感情といった「心」に関する全てが科学から取り除かれてしまったともいえる。ガリレイやデカルトなどの科学革命を担った先達たちの考え方を追えばこのことは証明できるだろう。


科学的であることは、「心」を取り除くことを意味して、宗教などの人間的な諸々を外しては、マックス・ウェーバーの「価値からの無縁」に同意することになった。その結果として現代の科学が描き出す宇宙や人間の「姿」というものはどこか寂寞さを漂わすことになったともいえる。ビックバンからブラックホールの現われまで、人間が関わる意味はそこにはなく、人間とは無関係に進みゆくものとされるが、これは人間自体もまたこの進行のなかで素粒子集団の微細な一つに過ぎない。伊藤仁斎の言を引くならば、自分自身のことも含めて全世界は「死物」の一大集塊となり、人間が在ることや、その行うことも死物の前では人間的な意味合いを何も持たないことになる。


倫理的行動や芸術活動なども惑星運動などと同じく意味のない死物運動となるが、これが現代の科学が提供する世界の描き方であり、同時に人間に多くの不安を与える根源ともなっている。この不安を無くすことはできないまでも、和らげる方法はあり、それを「重ね描き」という概念で説明したい。これをシンプルにいえば、科学は初期の段階で「心」の諸々を取り除いたわけであるから、それを再び戻して科学が与える世界像に併せて「重ねて描く」ということになる。


こうした趣旨で書かれている本書は全部で15章によって構成されているが、「重ね描き」を論じるためのアプローチとして用いられる題材は「和」「漢」「洋」の多岐に及ぶ。王陽明、本居宣長、伊藤仁斎、朱熹(朱子)、アリストテレス、ガリレイ、デカルトなどを縦横無尽に使いこなしては、歯切れとテンポよく展開していくので、読み手にはさほどの負担はかかることはない。

ガリレイやデカルトが「やらかしたこと」

本書の第1章の「概説的序論」では、人間の心が今や自然世界から外されてしまい、それは辛うじて「脳」に関わることであるのはわかってはいるが、どのような仕掛けとなっているかについて脳生理学者ははっきりとは答えることができていないとする。


「その点を不問にしつつ、心は一人一人の人の「内心」に押し込められてきたのである。こうして感情も、美的感覚も、道徳観も、すべて個人的主観的なものとしてそれぞれの「内心」に押し込められることになった。この、外なる(肉体を含んでの)死物自然と内なる心の分離隔離、それが近代科学がもたらした現代世界観の基本的枠組なのである。現代のわれわはこの枠組の中で、愛憎、美醜、善悪、等々を眺め、山川草木を眺め、鳥獣を眺め、テレビやコンピューターを眺め、そしてこの枠組の中で生活しているのである」(第1章)


これがそもそもおかしいとする本書では、その淵源を近代科学の担い手であったガリレイとデカルトにあるとして、その客観的な事物というのはただ幾何学的・運動学的な性質だけがあり、色、匂い、音、手触りなどの感覚的な性質は人間の主観的な印象に基づくものだというテーゼを槍玉にあげる。要するに色や匂いなどを伴う風景というものは、感覚器官を通じて脳へと至る作用で生まれたものであり、これを「知覚因果説」と呼ぶ。ただ、この知覚因果説のテーゼ自体が、人が持つ常識的な感覚にあわせて考えてみれば誤りだという。知覚因果説は近代科学の進歩の本流に傍から流れ込んだものに過ぎず、このテーゼを除外したところで近代科学の個別具体的な内容については何ら変更が加えられる必要はないはずなのだが、このテーゼの影響は色濃くあるという。


先の「はしがき」の紹介でも触れたように、近代科学は略画的な世界観を密画的なものへと描き出して、ガリレイ・デカルトなどのテーゼの作用は、「活物自然と人間との一体感を抹殺」を生じさせたとするが、本来は活きている自然との一体性などは失われるべきものではなかったという。

略画的世界観の再検討

近代科学以前からある略画的世界観では神々、死霊、生霊が行き交う世界であり、それが自然なものとして受け止められる。言い方を変えれば、様々な現象が物理的因果関係だけで捉えられない。この世界ではマックス・ウェーバーならば迷妄の一言で片付けてしまいそうな、たとえば日照りに苦しむなかで雨ごいの祈りを行うなどの呪術や魔術の存在が認められて、雨が降れば祈りのお陰となり、降らなければ祈りが至らなかったという受け止められ方がなされる。この解釈自体には矛盾はないが現代科学はこれを遠ざける。だが現代科学でもってもそれが「偽り」であることが証明できるわけではなく、あまりに冗長であって必要とされない、それがなくても十分に現象の説明がなされるからとなる。現代科学は主に物理作用でもってこの略画的世界観にご遠慮を願うことになり、いつしか略画的世界観は密画的世界観によって克服されて現代文明に至った。


大森はこの考え方に再検討を迫り、本書の第3章などでは『古事記』や本居宣長の考え方へと言及しながら持論を展開する。そこでは、「神々」を至高の存在として扱うのではなく、善玉(直毘霊(なおびのみたま)、和魂(にぎみたま))と悪玉(禍津日神(まがつひのかみ)、荒魂(あらたま))といった考えを引きながら、この区分けは絶対ではなくて変化するもので、「正しき善神とても、事にふれ怒りたまふ時は、世人をなやまし給ふこともあり。邪なる悪神とても、まれまれにはよきしわざも有べし」となる。江戸時代に生きた宣長にとってこの世界観は現実であって、宣長は人知には限りがあり、それが及ばない世界があることを忘れてしまい、全てを知ったとする思い上がりを戒めてもいる。大森は現代のわれわれがこの宣長の説く世界を共有はできないが、それでも宣長が信じた世界は論理的矛盾ではなく、そして現代科学とも矛盾するとまではいえないし、それを想像してみて理解に至るのは現代においても可能だとする。大森は『古事記』の世界観だけではなく、『源氏物語』『平家物語』なども引き合いにして、怨霊や生霊の行き交う世界観とそれに基づく捉え方について触れ、それは時代が進んで上田秋成の『雨月物語』や小泉八雲の『怪談・奇談』などにも現れてきたことにまで言及する。


「・・・しかし現代のわれわれはもはやそれらの存在を感じる感性を失ってしまっている。それらは「科学的」に検出できず、「科学理論」によって理解できないからである。しかし、科学的存在でないということは、いかなる意味でも存在しない、ということではない。ただ、科学的存在でない、ということだけを意味しうる。私は何もここでオカルト的存在を信じよ、といっているのではない。ただ、オカルト的存在を信じた人々は何も誤謬をおかしたわけではない、彼らは現代のわれわれにはもはや失われた感性と存在感覚をもっていたことを理解すべきだ、といいたいのである。彼らにとって、ある種の振る舞いをする人間や、ある自然現象が霊的なものの仕わざであることは、何も「検出」や「証明」が必要なことではなく、生の事実であった。それはわれわれにとって、足を踏まれた犬がキャンキャンなくのはそれが痛がっているのだ、ということが証明抜きの生の事実であるのと異ならない」(第3章)

大森哲学の真骨頂「主客合一」「主客未分」とは全くの別

ここで取り上げたのは『古事記』と本居宣長の例であるが、大森は先にも述べたように「和」「漢」「洋」の様々な題材を使いながら本書を展開している。それら全てを紹介することは叶わないが、自由闊達に知を用いながらも、各章の終わりにはそれらの典拠を記した注もきちんと充実させている。なお、大森は若い頃、先輩の教授にあたる人から「おまえの書く論文は褌(ふんどし)を締めていない、と叱られた」という事実があったことを本書の「解説」で逸話的に紹介されている。褌というのは論文に付ける注のことであり、ふつうは哲学などの論文では西欧の有名な哲学者からの引用注であふれ返っているものだが、大森が書く論文は自らが考えたことを軸に展開しているから、そうした注がほとんどないことで知られていたという。


この意味では本書は注があふれており、大森の著作のなかでは例外的なものとなる。ただ、その本書でも最終章である第15章では引用注は現れず、大森がそこに至るまで「和」「漢」「洋」とあらゆる思想や考え方を引きながら、どこか辛抱強く持論を進めて、最終章で自らの信ずる哲学を一気呵成に展開してフィナーレを迎えるような終わり方になっている。人間がかつてもっていた感性に近いものとは何かを論じ、その感性は近代科学とわずかにも矛盾するものでないとする。矛盾しないというよりも近代科学の発展に連れ合いとなるべきものである。そして、それを迷妄に導いたのはガリレイやデカルトなどだと改めて述べた上で、大森は自らの信じるところを次のように述べる。


「・・・私と自然との間に何の境界もない。ただ私の肉体とそれ以外のものに境界があるだけである。自然の様々な立ち現れ、それが従来の言葉で「私の心」といわれるものにほかならないのだから、その意味で私と自然とは一心同体なのである。当然〈主観と客観〉と従来いわれてきた分別もない。〈世界と意識〉という分別もない。これは禅的な意味や神秘的な意味での「主客合一」とか「主客未分」とかということとは全く別のことである。ごく当たり前の日常生活の構造そのものの中に主観と客観、世界と意識といった分別がない、ということだからである。四六時中そうなのである」(第15章)


ところで、大森がこの著作を書いたのは1985年であるが、それから40年近い時の経過は科学を大きく進展させている。ニュートン力学が適用されない量子力学などの領域での情報も増え続けている。これは密画的世界観がより精緻になったともいえるが、新しい密画的世界観から、大森の重視した略画的世界観へとどのようなアプローチを見せていくのか個人的には関心がある。大森がいうように両者は矛盾をするようなものではなくなっていく未来もあり得るだろうし、東洋、特に日本ではそうした感覚が復権する素地は充分にあるようにも思いながらも、改めて本書の『知の構築とその呪縛』というタイトルが言い得て妙だなと深く感じ入った次第なのだ。


***


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。