温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第131回】 野中郁次郎・竹内弘高『ワイズカンパニー~知識創造から知識実践への新しいモデル』(東洋経済新報社,2020年)

・ビックネームの一つの完結

「ビックネーム」には社会的な役割がある。「無名の人」が言っても良くて無視され、悪ければ非難されるものを、ビックネームが言えば支持や礼賛を受けることがある。このことで社会に良き影響を与えていくならば肯定されていいことだ。経営学の泰斗とも呼ばれる野中郁次郎氏は、この領域のビックネームという存在といえる。80年代に組織論と戦史を交えた『失敗の本質』(ダイヤモンド社)の研究を主導し、後にシリーズ化されて、組織論と戦史に戦略論や哲学を交えた研究となって『戦略の本質』『知略の本質』(日本経済新聞出版)の出版に至った。90年代に企業が知識を作り出すプロセスに焦点をあてた『知識創造企業』(東洋経済新報社)は、その後『知識創造の方法論』(同)へとつながり、2020年に出版された『ワイズカンパニー』(同)で一つの完結を迎えている。


以前、この書評で『知識創造の方法論』を取り上げたが、そこで起点となった『知識創造企業』のエッセンスを次のようにまとめた。企業がイノベーションを生み出していく際に、目にはみえにくく、言葉や数字であらわしきれない「暗黙知」を、誰にでもわかる言葉や数字によって示される「形式知」へと変換していく過程に日本企業の特徴がある。日本の独自の「知識創造理論」を示すとの目的を持った同書は、知識とは何かから始まり、そして、知るとは何かを探求する。西洋哲学からプラトン、アリストテレスなどが登場し、そして日本の哲学として西田幾多郎を登壇させている。


この本が示す「知識創造理論」は、企業内にある暗黙知が形式知として、徐々に「形」をなして実用化されていく流れを「知識のスパイラル」(後にSECI(セキ)モデル)と名付け、共同化、表出化、連結化、内面化といった用語でその過程を整理する。組織のメンバー間でバラバラに使われている「暗黙知」(たとえばベテランワーカーたちの持つノウハウ)を、相互作用させて「共同化」するための「場」を設け、今度はこれに対話を行って言語化していくなかで「表出化」させる。それをさらに他部署などとも繋げて「連結化」を試みることで形式知が一つの節目を迎え、この経験を重ねていくことで新たに深く「内面化」していき、再度の暗黙知へとなっていく理論である。続編となった『知識創造の方法論』は、前著を踏まえた上でビジネスや事業に活かせる知識を生み出していくための思考方法により深く入りこむものとなった。


・『ワイズカンパニー』と実践知

前置きが少し長くなったが、今回の本題である『ワイズカンパニー』について述べたい。本書は『知識創造企業』が出版されて以降、ナレッジマネジメントという分野が生まれて四半世紀以上にわたり発展してきたなかで、その理論をより深化させている。『ワイズカンパニー』の冒頭では、この間にグローバル化、知識へのアクセスの拡大、ビックデータ、クラウド、人工知能など世界が大きく変化してきたが、知識と情報・データの区別が難しくなっており、情報過多にもなっているとする。なお、知識と情報は似通っているが、前者は「信念」や「積極的な関与」が深く関わり、人の価値観によって形成される部分があり、行動と直接的に関係してくるとする。


『ワイズカンパニー』では、世界が急な変化を遂げているなかにあって、知識だけでなく、高次の暗黙知である知恵が求められるべきだとし、これが本書における大きなテーマとなっている。本書の前半では、知識から知恵への展開を論じられているが、そこでは前著にわずかに登場していたアリストテレスの「フロネシス(実践知)」が知恵の基盤として多用されている(これが『知識創造企業』と『ワイズカンパニー』の大きな違いとなっている)。本書は500ページの厚みがあり全体を2部にわけて8章で構成されており、第1部(1~3章)では、知識から知恵への発展、実践知の問題、SECIモデルの進化、実例としてホンダのジェットへの取り組み、JAL(日本航空)の再建が取り上げられている。知識、知恵、実践知といった用語が交互に登場するが、両者の関係については次のような説明がなされている。


「『知識創造企業』の続編である本書『ワイズカンパニー』では、前著でやり残した課題に取り組みたい。第一の課題は、知識創造と知識実践の隔たりを埋めることである。これまでの20年で、知識創造だけでは企業は賢明な行動を起こせないことがわかってきた。そこに足りないのは知識実践ではないかとわれわれは考えている。第2章で論じるように、知識実践とは、実践知という概念――2400年以上前、アリストテレスがフロネシスと呼んだ概念――から出てきたものである」(第1章)

「知識と行動の間に絶えざる往復――行動から知識が得られると、その知識からまた次の行動が生まれるという繰り返し――があることが、知識実践の一番重要な点である。そのような知識の創造と実践の相互作用を通じて、知識は繰り返し創造される。・・・知識だけでも、適切な行動を取るのには不十分である。そこにはフロネシス、つまり実践知が加わらなくてはならない。フロネシスとは、時宜にかなった賢い判断や、価値観・原則・モラルに従った行動を可能にする経験的な知識である」(同)


・啓蒙書か経営書か

様々な概念が交差する本書を読み進めてく上で、知恵と実践知の関係は特に踏まえておくことが大切となる。本書が示す知恵というものは倫理的な要素が含まれるものとなり、それをアリストテレスが提唱したフロネシス(ここには善悪の価値判断を可能にする賢慮を含む)を並列させて担保している。なお、『ワイズカンパニー』というタイトルがどこか仄めかすように、知識から知恵を求めていくのは、時代にふさわしい企業のリーダーを育成するためにでもある。そして、知識から知恵へと至ることで、共通善が何かを賢明にも知り追求が可能であるともいう。このような書きぶりから本書は倫理・啓蒙の書といった側面を強く放ちもするが、他方で共通善が追求される理由は企業が生き残るためだと言い切っている部分もあり、やはり経営書の側面も強く留めている。


「・・・なすべきことは共通善を追求することである。そうするのが正しいからとか、時代の流れだからとかいう理由ではない。そのほうが企業の存続が確実になるからである。企業が生き残るためには、顧客に価値を提供する、他社には築けない未来を築く、道徳的な目的を持つ、社会と調和する、生き方として共通善を追求するということが絶対に欠かせない」(第2章)


・ワイズリーダーのあり方

あくまでも本書の主語は企業を軸としているが、第2部に入ると「ワイズカンパニーの6つのリーダーシップの実践」という章タイトルが銘打たれ、企業に集う様々な階層のリーダーたちのあり方について実例・実名をあげて論じていく展開となる。まず、知恵と実践知を使いこなすことのできるワイズリーダーは、企業や組織のメンバーたちが互いに学び合い、新たな知識を協力しながら作り出していくための交流の「場」の形成の大切さを弁えているという。ここではJALの他に、エーザイ、ユニクロ、シマノ、ウォルマートなどが実例としてあげられ、稲盛和夫などのビックネームも登場させている。


本書が提起する場という概念は、place, space, fieldなどの訳語がどれも該当する広範なものとなり、そこへの参加は自発的になされて、メンバーは各々が互いの関係と相手の視座や価値観を理解しようとする「共有された動的文脈」だとしている。企業での企画会議、研修、勉強会、バーチャル会議から喫煙室、社員食堂、カフェ、娯楽室といったどれもが潜在的には「場」になり得るが、それを活かせるかどうかは、ワイズリーダーたちが参加者の間に垣根を作らせない、共通の目的意識を持たせる、本音で話し合うような配慮ができるかどうかにかかっているという。


・本質をメタファーと物語で伝える

ワイズリーダーが「場」の形成によって創造された知識、ボトムアップされてきたそれを巧みに活用するあり方を説く一方、別の章ではトップダウンするための能力についても論じている。本書はフロネシス(実践知)という概念を多用していることは先に述べたが、ワイズリーダーたちはこのフロネシスに触れていることで優れた洞察力が与えられて、本質を看破するための力を持つとする。そして、本質をメンバーたちに伝えていくために「メタファー」と「物語」といった手段を使いこなすことの大切さを強調する。


「リーダーが素早く本質をつかめたとしても――つまり状況や、ものや、現象の背後に何があるかを素早く理解できたとしても――人々にその本質を伝えられないのなら、宝の持ち腐れである。・・・そこでワイズリーダーはメタファー(隠喩)や、物語や、その他の比喩表現を使って、幅広い事柄について、効果的に人々との意思の疎通を図ろうとする。そうすることで、今の状況も過去の経験もそれぞれに異なる個人や集団に、素早く直観的に本質を理解させられる」(第7章)


このように知識から知恵、フロネシスを交えて企業を主語として始まった本書は、章が進むにつれてリーダーのあり方、リーダーの「場」形成、本質の看破とメタファーや物語を巧みに使っての共有などを、実例・実名ともに論じていくものとなる。そして、この流れで本書は結末を迎えていくのかと思いきや、終わりに近いところで意外な人物の名前が取り上げられて、ワイズリーダーの別の定義が明らかにされる。


・マキャベリの登場

ワイズリーダーには知識の創造、本質の共有を行った上で、組織やメンバーを行動へと導いていくために政治力の行使が必要だとする。そこでニッコロ・マキャベリとその考え方を登場させているのだ。


「・・・一人一人の知識と活力をまとめ上げ、全員にリーダーの目標の実現のために力を尽くさせなくてはならない。相反する目標を持つ者たちを動かすためには、それぞれの状況に応じたあらゆる手段を――場合によっては、マキャベリズムの手段も辞さず――講じることが必要になる」(第8章)


ただ、本書ではマキャベリからは、二枚舌、権謀術数、無慈悲、鉄の意志といったものを連想させるというが、それは変革型のリーダーが持っていなければならない「創造性、柔軟さ、日和見主義」といった部分にも目を転じてくれるとし、プロセスよりも結果的にメリットとなる方へと重きを置いている。加えて、マキャベリが高い次元での善に関心がなかったわけではなく、目的が手段を正当化するといった考え方も道徳的な立場と無縁ではなかったはずだと別の学者の見解を引きつつそれを擁護している。その上で政治力やマキャベリズムの文脈で本書が論じている実例・実名は、その動機が人助けや救命のためであり、それらの目的のために行なった虚偽、違法行為、規則違反というモデラートな範疇のものを論じているに過ぎない。


・人間中心の経営

マキャベリは登場こそするが、脇役感は否めずどこか出オチ的な使われ方である。結局のところ『ワイズカンパニー』に登場する企業のリーダー像は、フロネシスに触れている倫理的、道徳的な存在であることが求められており、登場する実例・実名でもってそのことの検証を試みているともいえる。なお、本書では、企業の存続を確実にするために(それが正義だからという理由ではなく)、企業は共通善を求めていくべきだとして、その「生き方」としての共通善を追求することが欠かせないとしていることを先にも述べた。こうしたある種の信念の発露は、本書のエピローグでは人間中心の経営という部分でよりはっきりと立ち現れてきている。


「・・・長年の間に、われわれの考えは情報から知識へ、知識から知恵へと進化し、そこからおのずと経営の中心に人間を置くことになった。・・人間中心の経営――身体的な経験、感覚、直観、信念、理想、勘、主観、関係、モラル、価値観が重視される経営――の価値を強く信じ、提唱している」(エピローグ 最後に伝えたいこと)より


この書評の冒頭で、野中郁次郎氏はビックネームだといった。それは長年にわたり積み重ねられた努力と実績があり、それが着実に受け入れられてきたことで成立している。ビックネームへの歩みには変化もあるし、アリストテレスのフロネシスの概念の活用も確実に変化と進化を遂げてきた。90年代『知識創造企業』が出版された時は、アリストテレスについてはどこか表層的な言及でもあった(当人も認めている)。『ワイズカンパニー』に至っては、アリストテレスの目的因などの限界を踏まえつつ、フロネシスの概念を大胆かつ慎重に応用されている。


最後に、『ワイズカンパニー』の「まえがき」について触れておきたい。そこでは詩人ウィル・アレン・ドロムグールの「橋を架ける者」という詩を著者の心情をあらわすものとして引用している。詩は次のような一節で終わっている。「・・・良き友よ、私は若者のためにこの橋を架けたのだよ!」。詩を引用した直後、当人は次の文でもって「まえがき」の筆をおいている。「われわれは若い研究者やマネジャーに本書を捧げたい。われわれが架けた橋を渡って、どこまでも知識を、そして知恵を追究してほしいという願いを込めて」


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書評筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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