論語読みの論語知らず【第104回】 「『韓非子』からみるトランプ2.0」

トランプ2.0と忠誠心の問題

「アメリカ・ファースト」のために矢継ぎ早に政策を打ち出しているトランプ2.0では、大統領への忠誠心が重視されているのはよく報じられている。第1次トランプ政権では、大統領が気まぐれな決断を行って国を危うくさせないように、側近や閣僚たちが「サボタージュ」を含めて上手に立ち回ったともいわれている。それでも任期途中で大統領と主要閣僚の意見対立が表面化しては、ティラーソン国務長官、マティス国防長官、ボルトン大統領補佐官らの辞任や解任が起きた。その反動もあってかトランプ2.0では同じ轍は踏まないためにも大統領への忠誠心を基準として人事を断行してきている。政治である以上、そこに権力闘争は付き物であるが、大統領は前回の政権で「下」からの巧みな術で「操縦」されてしまった部分を、今回は「上」からパワーで「支配」しようと闘争をしているともいえるだろう。


『韓非子』の人間不信と権力闘争

立場が異なれば利害も異なり、上司と部下は同じ組織の見えないところで一日に100回も戦っているという「上下一日百戦」なる言葉は『韓非子』からの引用となる。中国の戦国時代末期のこの思想は性悪説の立場から人間不信で貫かれており、性善説の立場から人が持つ道徳や倫理の可能性を説いた『論語』とは対極的なものとして扱われる。上からの統治の方法として『論語』では法律や刑罰を厳しくすれば、人は形式的にそれらを回避して振舞うだけの恥知らずになるが、道徳や礼儀を重んじさせれば心からの恥を覚えて行いが正しくなるとする(為政篇)。ところが、『韓非子』では人間不信から法律を厳しく運用し、さらに組織や人を掌握するために「刑」(刑罰)と「徳」(褒賞)の二つを術として巧みに行使するべきだと説いている。


「上」からの支配と「下」からの操縦

『韓非子』は上に立つ者に対して法の運用や刑罰を行使する力を保つ大切さを説き、「人主の患は人を信ずるに在り。人を信ずれば人に制される」(備内篇)という人間不信の立場からさらに細かく大臣や側近につけ込まれないための振舞い、家族にも油断しないことなどをあげている。そして、権力が内部から崩壊していくときのシグナルとして「六微」(「下」が持ち得る思惑や取り得る行動)を示しては戒めている。そこでは「上」が「下」へ与える権限裁量の掌握、「下」と外敵が結託することへの注意、「下」同士の権力闘争と利害対立への通暁、常に謀略を仕掛けられることへの警戒などが説かれる。このように「上」からの統治方法を説く『韓非子』であるが、別のところでは「下」から「上」への操縦の術も説いており、「上」が真に求めているものを探ること、「上」の警戒を解いてから説得をするやり方、逆鱗に触れないためのポイントなどが記されている。


『韓非子』ならトランプ2.0を如何に評する

『論語』を座右の書だと公言する人は多くあるが、『韓非子』をそれだと公言する人はあまり多くない。前者なら自分は道徳と人格を磨き続けたいという表明になるが、後者だと自分は人間不信の立場から謀略も交えて人付き合いをしますとの宣言にも取られかねない。故に『韓非子』は愛好者にはこっそりと読み継がれてきているというのが実情だろう。ところで、冒頭のトランプ大統領と忠誠心の話に戻るが、大統領は最近も国家安全保障会議の高官を解任するに際して、彼らの忠誠心が他に向いていることを問題視する発言をした。強権発動にみえる一方で、このあたりがトランプ大統領の人間味が持つストレートさやシンプルさが思いのほか出てしまっているようだ。

なお、『韓非子』の立場からすれば「上」があまりに好き嫌いをはっきりと出し過ぎる、好悪の基準を明確にし過ぎるなどは「下」からつけ入れられると警鐘を鳴らしている。韓非子が生きていたらトランプ大統領の言行にどのような評価をするかは想像の世界であるが、案外、『韓非子』のような古典に知恵を求めてトランプ大統領へのアプローチを模索するのも実用的で、対米外交の戦略を支える一つの要素になるとも思うのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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