論語読みの論語知らず【第107回】 「「保守」の変わり目に考える」

・保守同士でもかみ合わないこと

リベラル(革新)の対岸にあるものとして保守という用語が使われるが、これが大雑把にでも意味するところが了解されないままに話し合いが進んでいくことが巷間ではよくある。お互いが保守だと思って話をしていて、どうも話がかみ合わないなと感じ、保守の意味合いを互いに確認したら認識に相当の違いがあったなどもわりとある。過去から慣習的に行われてきたという事実だけでもって全肯定する「伝統主義」を、人によっては保守の中に含めている場合もある。他方では、伝統と呼ばれるものにも時代に応じて良き部分とそうでない部分が現れてくるもので、慎重に秩序ある漸進的な変革をしていくという意味合いで保守を理解している人もいる。


・保守主義の源流の一つであるバーク

本来の保守という意味ならば基本は後者が正答であり、保守主義の考え方のオリジナルを西洋に求めるならば、一つは英国のエドマンド・バーク(1729~1797)に行きつく。アイルランドに生まれ36歳で政界入りして下院議員を務めていたバークは、ときに国王やその側近による密室政治を批判し、植民地アメリカで起きた英国政府への反発を「自由」を重んじる立場から擁護しつつも、英国の統治システムの至らぬところを批判するなど骨太の人であった(但しアメリカの独立を無条件で認めたわけではなく、英国のシステムの中でどうあるべきかを論じた)。後にフランス革命が起きたとき、周囲はバークがフランス革命を支持すると思ったようだが彼はこれに強く反対している。


・変更する手段を持ってこその「保守」

バークは革命が起きてから1年あまりで『フランス革命の省察』という本を急ぎ出しており、そこでは過去の歴史と断絶し、歴史の中に根拠を持たない抽象的な思想や理論に立脚して急進的な革命を進めることを強く批判している。バークの考えとしては、歴史によって培われてきた慣習や制度は「保守」されるべきものであって、同時にそれらは自由を守るためには必要に応じて慎重に秩序ある漸進的な改革が認められるということになる。バークは「保守」とは、古くからのものを一切変えずに維持をする伝統主義ではなくて、「何らかの変更の手段を持たない国家には、自らを保守する手段がありません」とも先の本の中でも述べている。要するに、保守をしていくためには変わり続けなければならないという理屈となっている。


・日本の保守の変わり目に問われること

さて、日本でも保守のあり方が大きく変わり始めるタイミングにきているようだ。私個人としてはバークが論じたような意味での保守を好むものであり、その意味では歴史をどのように捉えるかが一つの問題になる。ただ、戦略や戦史の界隈で仕事をしていると、歴史観を巡る考え方の大きな違いから相手によってはまったく議論が出来ない場合もある。もちろん何を信じるかは人の自由であり、そのこと自体は尊重するが、ある一つの歴史(時代)を区切り過去と断絶させ、そこから派生した理論だけを全肯定するようなあり方には違和感を覚えるのも事実だ。どの歴史観が正しいとはいえないにしても、その解釈は様々あることを許容されるべきではあろう。なお、「論語」には、「教えざる民を以て戦うは、是れ之を棄つと謂う」(軍事を教えない民を用いて戦争するのは、民を棄てるというものである)という一文がある。時代背景も環境も現代とは大きく異なるところから出てきた言葉だが、ここにある含蓄を柔軟に解釈して活かせるのも保守の良さかもしれない。間もなく「戦後80年」というものを迎える。戦後という括りだけで物事を論じて、是非を論じていくことが、いつの間にか亜流の「伝統主義」になっていなければ良いなとは思っている。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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