温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第9回】 ホメロス『オデュッセイア』(岩波文庫,1994年)

古い歌に「寒風酷暑 ものかわと 艱難辛苦 打ちたえて」という歌詞があった。ホメロスのオデュッセイアはそんな話だ。「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争、それを描いた「イリアス」の後日譚にあたる。(なお、「イリアス」自体にはトロイの木馬の逸話は出てこない。)トロイア戦争が終わり、功なり名を遂げたオデュッセウスは自らが王として治める故郷のイタキ島に戻ろうとするが、ギリシャの神で海を統べるポセイドンの怒りに触れて、10年間にわたって漂流して多くの苦難を味わうことになる。オデュッセイアは全部で24歌(章)から構成され、岩波文庫なら現代語訳も平易だから通読することは難しくない。ただ、読み進めていくうちに正直ギリシャの神々は一体全体何ですかという思いに筆者などは駆られる。


第1歌では、最高神ゼウスに対してその娘にあたる女神アテネが、10年の流浪の果てに仙女(魔女)カリュプソから一方的に恋されて、彼女が住まう島に抑留されているオデュッセウスをそろそろ助けてあげてはと訴える。それに先立って、ゼウスはオリュンポス山の神殿に居並ぶ神々にこううそぶいている。

「いやはや、人間どもが神々に罪を着せるとは、なんたる不埒な心掛けであろう。禍いはわれらのせいで起こるなどと申しておるが、実は自らが己の非道な振舞いによって定まれる運命を超えて(受けずともよい)苦難を招いているのだ・・・」(第一歌)


これを素直に読む限り、神は人々に災いをもたらすものではなく、多くは自業自得ということになる。ただ、ギリシャ神話に基づけば、そもそも「トロイア戦争」がおきた理由は、ゼウスが積極的に企んだ「人口減らし」のためで、神々をけしかけて諍いを起こさせて、トロイア陣営とミケナイ陣営にそれぞれつかせて10年の戦争という災いを及ぼしたことになっている。するとゼウスの真意がよくわからなくなるのだ。ちなみに女神アテネの強い訴えにオデュッセウスを助けることにしたゼウスはこう答える。


「娘よ、・・神にも劣らぬオデュッセウスを、今にしてわしがどうして忘れようぞ。その才覚は衆にすぐれ、また広大なる天空を占めるわれら不死なる神々に、誰にもまして見事な生贄(いけにえ)を供えてくれた男ではないか・・」(同) 

筆者などは「するとゼウスよ「生贄」次第ですか?」と問いたくなるし、それでは「地獄の沙汰も金次第」と同じ論理ではと思いきや、他のギリシャの神々も同じように生贄を好むのだ。ゼウスの意思を伝えるべくカリュプソのもとにやってきたヘルメスはこう愚痴る。

「こちらへ遣わされたのはゼウスなのです。このような涯なく続く海原を、誰が好き好んで渡ってきますか、・・神々に供物や見事な百頭牛の贄を供えてくれる人間どもの住む町も、近くにはないのですからな。・・」(第五歌)

やはり筆者などは「ヘルメスさん、百頭も牛を捧げられて嬉しいのですか?」などと思うのだ。

さて物語の結末では、オデュッセウスは血生臭さいけども一応のハッピーエンド。ただ、そこに至るまでギリシャの神々から不条理を次々かされて、それを智恵と機転と勇気で出し抜いていく。古代の人々はオデュッセイアという叙事詩をエンタメとして、かつ、人生の糧にしたのだろう。ただ、「生贄」(カネ)次第で神々が動くあたりは、結局は人間が考え出した一つの観念で、これが特に「涜神的」だということでもなかったのだろう。まあ、現代のとある宗教事情などもこれに通じるかもしれないが・・。

 

*** 

 

筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

~ 誠実に対話を行い 真剣に戦略を考え 目的の達成へ繋ぐ ~ We are committed to … Frame the scheme by a "back and forth" dialogue Invite participants in the strategic timing Advance the objective for your further success