温故知新~今も昔も変わりなく~【第28回】 レイモンド・チャンドラー『THE LONG GOODBYE(長いお別れ)』 (早川書房,2008年)

手元に古ぼけた文庫本がある。25歳のときに、いまは無くなってしまった新橋の本屋で買ったものだ。当時、会社員としてまだ駆け出しで、仕事もたいしてわかっていなかったが、かといって先輩たちと仕事帰りに居酒屋で一杯引っかけながら学ぶこともしなかった。代わりに、ほぼ毎日仕事終わりに書店を巡り新しい本を求めた。

小説「THE LONG GOODBYE」(長いお別れ)はそんなときに出会った一冊だ。海外のハードボイルド小説を読んだのはその時が初めてだった。当時読み終えた後、その味わいをうまく言葉にできなかったが、心の深いところに何かが強く残った。


そして、この本を久しぶりに読み返してみた。主人公のフィリップ・マーロウはロサンジェルスで開業する私立探偵で、元は地方検事局で捜査員を務めていたが、命令違反で免職となったというのが公式なプロフィール。物語の筋書きに触れるようなことはしないが、作品はもう長い間広く支持されてきている。それも、マーロウという人物の持つ独特の魅力がその地位を保ち続けさせているのだろう。まだ、ハードボイルド小説を出版していない私が、この作品の書き手のレイモンド・チャンドラーの作風をとやかくいえるほど見解もないが、ただ、読み手からみて、形だけはマネさせてくれることと、同時に、読み手がまずマネできないような行動を描写しておきながらも、さりげなく置いてきぼりにする手法などは一流と思っている。


マーロウの自宅にある事情を抱えて追い詰められた友が拳銃を持って訪ねてくるシーンがある。その拳銃の銃口はマーロウに向けられているわけではない。マーロウは友人を落ち着かせてコーヒーをいれるときの描写がある。

・・・それから、コーヒーをかきまぜて、蓋をすると時間計(タイマー)を三分に合わせた。ずいぶ几帳面じゃないか、マーロウ。いや、コーヒーはいつもどおりに沸かさなければならないからね。たとえ、おそろしい形相の男の手に拳銃が握られていようとも・・・


読み手の多くが本物の拳銃を実際に見ることなどほとんどない。ましてや、拳銃を握った者と向き合う経験をするものはもっと少ない。ただ、マーロウに惹かれる読み手に「コーヒーをいつもどおりに沸かすこと」だけはマネさせてくれる。

マーロウは、日本でよく好まれる、表も裏もお人よしで純粋、義理人情にあつく人助けをしては最後に貧乏くじをひく・・というタイプではない。タフで、優しくもあるが、皮肉屋で、警察にブタ箱に放り込まれようと、やくざ者に痛めつけられようと、絶対に表に出てこない権力者から静かに脅されようとも、結局、信念を曲げずに筋を貫いていく。読み手が、物語の筋でつい妥協を強いられそうに感じても、彼はその境界線をさりげなく越えてゆく。


もちろんマーロウはそんな自分に酔っていない。マーロウがある女に向けたセリフが出てくる。

ぼくはことしで四十二になるまで、自分だけを頼りに生きてきた。そのため、まともな生き方ができなくなっている。その点では、君も少しばかりまともじゃない・・


作品を読んでいると、マーロウがもっともまともな生き方をしようとしているし、だからこそ深く傷ついてもいる。なお、私もいま現在四十二歳なのだ。そして、遠からずマーロウとの同い年にお別れを告げるのだ。

架空と現実の越えられない境界線があり、互いに友になることはなかったが、これから先は「マーロウ君」と呼べるようになっていかなければならないのだ。


***


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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