論語読みの論語知らず【第15回】「鬼神につかうるを問う」

お釈迦様と孔子が時間と空間の違いをこえてもしも対談したならば、案外、うまくいったのかもしれない。そんな極めて不遜で不敬なことを考えしまうことがある。お釈迦様が入滅された後「如是我聞」(このように私は聞いた)の前提で生み出された大量の仏典と、孔子が亡くなったずっと後の世にいつしか煩瑣な哲理と化した儒教(経学・けいがく)を持ち出すと論争は絶えることなくなる。ただ、それらを思い切り取っ払って、人間としてのお釈迦様と孔子でイメージしてみると穏やかな雰囲気で対話されるのを想像する。お互いに好奇心豊富な弟子に囲まれたという共通点があり、それゆえにおきてくる苦悩などについても語り合ってもおかしくはない。孔子が無邪気な好奇心の発露から出てくる弟子の質問にいかに苦悩し配慮したかをうかがわせる一文がある。

 

「季路 鬼神に事うるを問う。子曰く、未だ人に事うる能わずんば、いずくんぞ能く鬼に事えん、と。曰く、敢えて死を問う、と。曰く、未だ生を知らずんば、いずくんぞ死を知らんや、と」(先進篇11-12)

 

【現代語訳】

季路(子路)が鬼神を祭ることについて質問したことがあった。老先生はこう教えられた。「もしまだ人(在世の親)におつかえすることがちゃんとできないでいるならば、どうして鬼(死没の親。「神」(しん)は霊妙なもの)におつかえすることができようか」と。すると子路は踏み込んで、「では死とはなんでしょうか」とおたずねした。老先生はこうおっしゃられた。「もしまだ在世の親(生)の意味・意義についてちゃんと理解できてないようでいるならば、どうして御霊(みたま・死)の意味・意義についてきちんと理解することができようか」と


一般的にいわれるのが、孔子は死や死後のことについて関心もなく、そして語らなかったということ。特にこの一文がその根拠としてつかわれて、孔子よりずっと後、宋の時代に確立する儒教の性質を定めてしまい、合理性の権化のようなカタチになった。もちろん、それがダメなどと否定はしない。ただ、この一文を読み感じてきたことは、これは弟子に対する配慮から出た言葉で、孔子が死後に関心がなかったということではまったくないと思う。一流の教育者であればこそ、弟子の器量や了見をみる。好奇心から出た質問に安易に回答し知識を与えてしまうことが、そのときはよくとも、後に悪用して自分を甘やかすリスクを十分に考えたのではと思うのだ。人は弱きものだし、ときに苦難や試練に直面すると、安易に死後の世界に旅立つことを願う。

「早く楽になり、ともに過ごした家族のもとにはやくいきたい」という言はわりと聞くものだ。そのような縁(よすが)にするならば、そんな知識を与えず、もっと目の前の生を大切に、今日一日、今一刻を生きろと語っただけのように思う。お釈迦様も弟子の同様の質問にたいして口を噤んだといわれるが、そのような気持ちの発露ではなかったか。


ところで、お釈迦様と孔子がもし対話をしたとしても、一体そこにどのくらいの弟子たちが立ち会う資格を与えてもらえただろうか。筆者の勝手な想像であるが、結局は師弟の間における、仏教的にはそれを「縁」(えん)、儒教的にはそれを「命」(めい)の深浅次第かなとも思う。ただ、それは一方的に与えられるものでもなく、どれだけそれをつかみ取るべく一生懸命に人事を尽くしたかが大きく左右するようにも思うのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

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