論語読みの論語知らず【第20回】「人知らずしていからず」
真剣に何かを書くとしたら、最初の一行の書き出しはとても難しい。そして結局のところ、そこにメインテーマが含まれることがどうも多そうだ。これは今も昔も変わりのないことかもしれない。たとえば「孫子」は「兵とは国の大事なり・・」の書き出しで始まる。「孫子」を著した将軍・孫武が一番言いたかったことは、おそらくこの一文だろう。論語は孔子自らが著しわけではなく、弟子たちによって纏められたものだ。しかしながら、やはり最初の一文にそのメインテーマが込められているように思う。あまり適切な物言いではないかもしれないが、論語はいわば「ハードボイルド」作品であって、不遇にあっても折れずに真っすぐに進めという応援歌だと思っている。それがもっとも凝縮されているのが論語の最初のこの一文だと思う。
「子曰く、学びて時(つね)に之を習う。亦悦ばしからずや。朋 遠方自り来たる有り。亦楽しからずや。人 知らずして慍らず。亦君子ならずや」(学而篇1-1)
【現代語訳】
老先生は、晩年に心境をこう表わされた。(たとい不遇のときであっても)学ぶことを続け、(いつでもそれが活用できるように)常に復習する。そのようにして自分の身についているのは、なんと愉快ではないか。突然、友人が遠い遠いところから(私を忘れないで)訪ねてきてくれる。懐かしくて心が温かくなるではないか。世間に私の能力を見る目がないとしても、耐えて怒らない。それが教養人というものだ、と(加地伸行訳)
この一文は一般的には現代語訳にあるように孔子の晩年のものだとされている。だがそれを違うという意見もある。論語の大家である加地伸行先生は、これをいまだ世に出ることのできてない40代の孔子が自らの不遇をかこつ日々に対して、自身への叱咤激励から出た言葉ではないかと言っている。筆者もこの見解を支持したい。
孔子が祖国の政界でしっかりとした立ち位置を得たのは50代になってからだ。40代は私塾を開き弟子たちがそれなりに集まってきてはいたが、志を実現する道筋をまだ見出すことができなかった。有名になること。世にでること。それを強く望まなければ、私塾で弟子に囲まれて生きるのもそれまた十分な生き方ではないかという人もいるかもしれない。
ただ、「有名になりたい」と「有名にならねばならない」の二つは違う。「世に出たい」と「世に出なければならない」もやはり違う。極めてシンプルに言えば、前者の場合はそれが「目的」自体で、後者はそれがあくまでも「手段」にすぎない。
40代、まさに血気盛んな孔子には理想とする政(まつりごと)の追求が夢であり命がけの仕事であった。その為には「世に出なければならない」と思っていた。だが、日々の焦りは出てくる。そんなときに「人知らずしていからず」と言い聞かせて、それでもやっぱり弱気になると、ギリギリのところで友人が訪ねてくる。おそらく夜通し語り明かしたことだろう。そして、友が去った後、いつか世に出たときの為にまた奮起して学問に身を捧げる。
この一文、孔子の一生懸命が素直にイメージできて筆者は大好きな一文だ。孔子は10代の頃から世に出ようとして何度も挫折をしたが、無駄に理屈をこねず、言い訳もせず、ただ反省を重ね、心を折ることはなかった。今の言葉にすればタフガイで、そんな形容が素直に似合う気がするのだ。
***
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
0コメント