論語読みの論語知らず【第21回】「厩(うまや)やけたり」

落語に「厩火事」(うまやかじ)という演目がある。時は江戸時代、髪結いを仕事とする妻の稼ぎで、酒を喰らい遊び惚けている夫に、妻が夫の本当の気持ちを確かめたくて知人に相談する。その知人は、古代中国で、孔子が弟子の不手際で起こした火事によって大切にしていた馬を失うことになったが、真っ先に弟子の安否を尋ねたという逸話を披露し、一方で、ある男が家宝の瀬戸物を大事するばかりで家人を蔑ろにし、結果家庭が壊れた話をした。そしてこの際だから、夫が大切にしている瀬戸物を目の前で壊して、そのリアクションを見て夫の気持ちを確かめたらどうだと知恵をつける。妻は家に帰り夫の前で瀬戸物を割ってみせると、夫は即座に妻の心配をした。感動した妻は「そんなにあたしのことが大事かい?」と聞くと、夫は「当たり前だ、お前が指でも怪我したら明日から遊んで酒がのめねえ」というオチで終わる。なおこの「厩火事」で引用された論語の一文はこのようなものだ。

 

「厩焚(や)けたり。子 朝(ちょう)より退く。曰く、人を傷つけたるか、と。馬を問わざりき」(郷党篇10-11)

 

【現代語訳】

老先生の邸の厩舎(馬小屋・馬舎)が焼けたことがあった。(そのため)先生が政庁より帰られたとき、「だれか怪我はしなかったか」とおたずねになった。しかし、馬のことはなにもおたずねにならなかった(加地伸行訳)

 

初めてこの訳文に触れたとき、正直なところあまりピンとこなかった。弟子の命(人命)を一番に思い、その他(財物)のことは度外視したと礼賛するニュアンスはもちろんわかる。ただ、この一文に込められた真意は本当にそういうことなのだろうか。そんな漠然たる疑問を持ったものだ。


論語の中のほとんどの文は、孔子がどのような状況のもとで発した言葉なのか、わかっていない。ただこの一文は比較的それが判明しているのだが、それでも解釈は実のところ色々とある。人の安否を問い、馬のそれを問わなかった理由を、中国の後漢時代の鄭玄は「人を重んじ、畜を賤しめばなり」とし、もう少し時代が下った南北朝時代の皇ガンはやはり「人と重んじ、馬を賤しめばなり」としている。他にも魏の時代の王弼(おうひつ)は、財としても道具としても、馬を過度に大事にする風潮をいさめたものだとしている。さらには、日本では江戸時代、荻生徂徠の解釈によれば、この一文中の「人」とは、火消しに走った家族や近所の人々をさしているのだとする。火消しの最中で馬は助け出されるのが当たり前のことだろうから、あえてそんなことを問わなかったのだとしている。


どれもそれなりに、もっともらしくは聞こえる。ただ、筆者としては次の解釈を支持したいのだ。実は、この漢文の原文(白文)は「日傷人乎不問馬」をどのように区切って読むかでまったく別のニュアンスが浮かび上がる。通例は上記のように「曰く、人を傷つけたるか、と。馬をとわざりき」と読まれるが、読み方次第では「曰く、人を傷つけしや否や、馬を問いき」となる。つまりは、人の安否を問い、次に馬の安否を問うているのだ。おそらくこれが正解だと思う。理由は、国の経綸(経営)に関わった孔子は、人と財の両方が経綸(経営)に欠かせないという常識的な感覚を持っており、どちらか一方だけに過度に偏ることを善しとしたとは思えないからだ。そのバランスを人間らしく仄めかしたものとして理解したい。


***


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

~ 誠実に対話を行い 真剣に戦略を考え 目的の達成へ繋ぐ ~ We are committed to … Frame the scheme by a "back and forth" dialogue Invite participants in the strategic timing Advance the objective for your further success

0コメント

  • 1000 / 1000