論語読みの論語知らず【第25回】「辞は達するのみ」

聖書の「初めに言(ことば)があった」(ヨハネによる福音書)は良く知らており、よく使われる。そして、その解釈は多岐にわたるようだ。私はカトリック系幼稚園を卒園したときに神父さんから頂いた聖書をいまでも大切にしている。世間でいうところのキリスト教徒ではないが、論語と同様に折を見て読み返すのだ。「言葉ありき」は東西を問うことはない。

そして、時の経過とともに膨大な言葉が積み重ねられていく。論語がカタチになってから、これまでの歴史で生み出されてきた論語にまつわる研究書や注釈書などを一か所に集めれば図書館ができるだろう。ただ、これらがすべて価値あるものかというと正直なところ疑問符がつくようなものも沢山あるのだ。やたらに持って回った文章や権威的に書いているけども、その実はただのトンチンカンなことを言っているものも結構あるようだ。ちなみに論語では、文章をあらわすときのポイントとして次のような一文がある。


「子曰く、辞は達するのみ」(衛霊公篇15-41)


【現代語訳】

老先生の教え。文章を書くなら、達意であれ(加地伸行訳)


「達意」とは、自分の考えが十分に理解されるように表現することであり、要は、読み手をしっかりと意識し、読み手に対して誠実でありなさいということだろう。儒学=論語のイメージが割と強いが、「論語」と孔子が一定の社会的評価を受けたのは漢の時代になってからのことで、それでもまだ当時は「五経」(詩、書、礼、易、春秋)の立ち位置のほうが強かったのだ。ただ、漢代を境に、「論語」の権威はあがりはじめて、その本文をめぐって解釈につぐ解釈が付けられるようになった。(第一次の解釈を「注」、第二次の解釈を「疏」(ショ)などいう)


いわゆるこれを訓詁の学・注疏の学などよび、漢代からはじまり、宋代くらいで一度完成となる。多くの解釈が乱立すると、必然的に解釈を巡ってどれが正しいかでバトルが勃発することになる。その度に言葉がつぎつぎ紡がれていく。漢の時代、こうした解釈学の権威として鄭玄(じょうげん)という人物がいた。鄭玄はどれほどの難解な本文だとしても、解釈力によって如何様にも向き合えると強い自信を持っていたようで、多くの解釈文献を残して、後世の学者たちに強い影響を与えた。だが、後にそれらの文献は散逸してしまうことになる。

最後の王朝である清の時代では、考証学というものが流行り、どうにかして鄭玄の文献を手に入れるべく探したのだが見つかることがなかった。それが、今世紀に入って敦煌の石窟から膨大な量の記録が見つかり、その中に鄭玄のものも含まれており、大いに期待が高まることになった。ただ、正直なところ、鄭玄が注釈した論語ものがそれほどのものだとは思えないのだ。


たとえば、第16回で扱った「子曰く、苗にして秀であるものあるかな、秀でても実らざるものあるかな」を鄭玄の注釈は次のような指摘をしているのだ。

「秀でざるとは項託(人物名)を諭う。実らざるとは顔淵を諭う」。

何を根拠としてこの注釈をしたかよくわからないが、論語の本文を素朴に読めば、優れた人材が必ずしも世に出られるとは限らないという意味が普通だと思う。これを特定人物に限っての話だとすれば、一文としての道徳的な意味があまりない。論語を巡る言葉は時の歩みとともに積み重ねられてきた。だが、それらが実践されてきたということを必ずしも意味しない。実践されない知的遊戯の積み重ねだとすれば、その先は一体何に達するものなのだろう。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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