論語読みの論語知らず【第28回】「之を如何せんといわざる者には」

ハイテク、IT、製造、サービスなど業種業態は異なっても人材をめぐるマネジメントの問題に共通項は多い。時おり経営者向けに講話を頼まれることがあるが、その後の質疑応答を重ねる度にそのように思う。無論、筆者に最先端のハイテクやITなどの知識があろうはずもなく、古典の知恵を掲げてそれをいかに活かすかという点で話をする。経営という視点からの「論語」というようなテーマでひとくさり話をした後で、ある年配の経営者がこんな質問をしてきた。「論語の持つ魅力についてわかったけども、社内にはどれほど言っても指示を出しても、教えてもダメな社員。どうしようもない社員がおり、これらについて論語はどうすれば良いと言っているのか」処方箋的な回答を求めてき問に対して、筆者は次のような一文を引用しながら答えた。


「子曰く、之を如何せん、之を如何せんと曰わざる者には、吾之を如何ともする末きのみ」(衛霊公篇15-16)


【現代語訳】

どうしたらいいか、どうしたらいいかと自ら苦しまない者は、どうしてやることもできない(五十沢二郎訳)


教え導くことが天命と信じていた孔子ですら自らの器(器量)の限界をきちんと弁えていた。それを素直に告白した一文として受け止めている。「どうしようもない奴。どうしようもない奴」と思われる人が自らの近くにおり、当人が「どうしたらいいか、どうしたらいいか」という意識がまったく持たすことができない場合は、自らの器量ではなにもしてやれない。つまりは、まず自らの器を弁えることがまずは肝要なのだ。質問に対してこれほどストレートな答え方はしなかったが、長年にわたり組織のヒエラルキーの頂点にいると、こうしたことを弁えることが難しくなることを提言した。無論、これだけでは不十分な回答だろうから、そのうえで「孫子」の

将軍の事は、静かにして以て幽く、正しくして以て治まる」(九地篇より)

【現代語訳】

将軍たる者の仕事ぶりは、表面はどこまでも平静を保つので、誰からも内心を窺いしられぬほど奥深く、万事につけて個人的感情を一切出さずに公正に処置するので、軍隊内が整然と統治されるのである

などを例えとして引用しながら続けた。


経営者が「どうしようない社員」と思う対象者は、たいていの場合が感情的なしこりから無縁ではいられない。当人が経営者としてマクロな視点から取り組んでいるつもりが、いつしか個人と個人のミクロでパーソナルな問題になっていることもよくある。ゆえに、この問題をあえて突き放して、距離をとり、人事異動・配置転換、教育研修など他の社員も対象になる制度にまかせて当面の解決を図る。ただし、これは多分に時間稼ぎに過ぎず、抜本的な解決にはならないかもしれない。おそらくは、社員が「どうしよう、どうしよう」と気づくまでの間、経営者が「どうしよう、どうしよう」と自ら苦しみ、自らを省みることを諦めてはいけないのであり、結局そこには即効性の処方箋はないのだろう。それを自らに課す覚悟がないならば、せめて「静かにして以て幽く」と決め込んで突き放しておけということになる。

この論語の一文、裏返して言えば、無理に手を差し伸べて、結果「害獣」にならないように自らを慎めということなのだろう。ただ、自らの器を弁えることはとても難しいのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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