論語読みの論語知らず【第30回】「公事にあらざれば」

20~30代にかけては外国でビジネスに勤しんでいた。そしてショートカット(近道)を一生懸命に探し求めたものだ。物事や事業を行う「許可」を得るために、「建物」の表玄関から入るべきか、勝手口から入っていくべきかを、真剣に考えて決断した。これが正解だと思った入り口も、くぐってみると中は迷宮のように複雑で、「水先案内人」がまるで能楽師が能面を付け替えるがごとくその相貌を変えることなどもあり、意中の人が鎮座する「部屋」へたどり着くまでにボロボロになることもよくあった。正解を探すのは楽じゃないと、よく文化や習慣・ルールのせいにしたこともあるし、それを苦笑とともに思い返すことがある。

日本にもどり、年月が過ぎて、仕事の領域も広がりその深度も変わった。そして、古典を語ることを生業の一つとしていると、いろいろな「部屋」の扉に開かれ、いろいろな人と会い話をする機会が多くなった。ただ、話をするスタンスは昔日に比べて大きく変わっていることに気づくことがある。論語にこんな言葉がある。


「子游(しゆう) 武城の宰(さい)と為る。子曰く、女(なんじ)人を得たるか、と。曰く、澹台滅明(たんだいめつめい)という者有り。行くに径に由らず。公事に非ざれば、未だかつて偃(えん)の室に至らず、と」(蕹也篇6-14)


【現代語訳】

「(弟子の)子游が武城の長官となった。老先生がおたずねになった。「人材を得たかな」と。子游はこうお答えした。「澹台滅明という人物がおります。(彼は)どこかに行きますとき、(正規の道を通り、けっして)近道を通ることを致しません。また、公用でなければ、けっして私(偃。子游の名)の自室に入ることをいたしません」と


ビジネスパーソン、経営者、公務員、アーティスト、軍人、芸能・文化人、職人、学者、士業、僧侶・神職・・・いうまでもないが、私はそれぞれの専門分野でこまやかな対話ができるほどの知見などはまったく有してはいない。ときにチンプンカンプンの話を聞かされることもある。もちろん一生懸命に理解しようとだけは努めてはいるが能力の限界は弁えている。せいぜい、私ができることは、かび臭い古典の世界からいろいろな逸話や思想を引っ張り出して話をすることくらいだ。


だが、案外それでよいのかもしれないと最近思うのだ。たとえば、国家の重責を担う軍人と話をする。具体的な安全保障論や政策論などを真っ向から論を戦わせるようなことはしない。それは誰かほかにできる人がやればよい。私はそれこそ、「孫子」「戦争論」を引き合いに出しているうちになんとなく本質論になる。大きな会社のトップとビジネスの話をしていても、いつの間にか、「論語」の世界からいつしか道の問題に行き着く。それぞれの「部屋」に入り、話をするとき、気が付けば、あまり直截的な話し方をしなくなっていのだ。普段あまり会話のテーブルにのらない素材を提供して、間接的に何かを考える機会となり、相手がそれを楽しんでくれたらそれで十分だ。


かつて外国で仕事をしていたころ、ひとたび「部屋」に入れば、出てくるときには「ハンコ」をもらうことがミッションだった。本当は「かくあるべし」と言いたいことを抑えて「私用」を優先したことは忘れないようにしている。いまは実のところ、昔よりも「かくあるべし」が強くあるけども、それをあまり真正面から投げ込まず、かび臭い古典で遊泳する。ただ、これが深いところで「公用」に紐づいていることを願いつつ、己を律するようには努めていたい。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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