論語読みの論語知らず【第39回】「貧にして怨む無きは、難し。富みて驕る無きは、易し」

かつて放映されていた時代劇ドラマ「御家人斬九郎」のOPナレーションのセリフ、「・・名門の家柄ではありながら、無役の30俵3人扶持という御家人の禄としては最低の境遇である。したがって稼がねばならない・・」。 斬九郎は腕が立ち、法の境界線を行き来しながら、いろいろな稼業を引き受けて、お金と引き換えにしていく。いわゆる「お侍」の給与はいくつかのパターンがある。代表的な一つは「知行取り」と呼ばれるもので、一定の領地を与えられ、それを経営し、そこからあがる年貢を収入とするもので、その単位は「石」で示される。もう一つは、「蔵米取り」と呼ばれるもので、主君からお米を現物支給され、その単位は「俵」で示される。

江戸時代も時を経るにつれて、物価は徐々に上昇する一方で、米の値段はほとんど変らず、「お侍」たちの生活は自然と厳しくなっていた。故に「お侍」でも最底辺は生活が成り立たず、色々な副業に向き合うことになったし、時には人様に言えないようなことをして稼ぐしかなかった。それでも「お侍」は「武士は食わねど高楊枝」とばかりやせ我慢をしていたのはある程度事実で、それを支えたのは武士としての矜持だったのだろう。「論語」にこんな言葉がある。


「子曰く、貧にして怨む無きは、難し。富みて驕る無きは、易し」(憲問篇14-10)


【現代語訳】

老先生の教え。生活が苦しいとき、運命や社会を恨まないでいるのは難しい。しかし、金持ちだと、驕り高ぶることを抑えるのは(比較的には)たやすい(加地伸行訳)


同じ時代、日本という島国から、もう一つの島国であるイギリスに目を転じると社会システムが変わり始めていた。「富とは貨幣なり」という言葉に要約できる重商主義が幅を利かせて、一国の富とは海外から物を買うときに必要な貨幣、つまりは金銀をどれだけ所有できるかといった考えが次第につよくなっていた。(ちなみに、「国富論」で有名なアダム・スミスはこうした考えに批判的だったともいえる)

商業と銀行業が結びつきを強めて、財産のカタチも株式や公債などといった「動産」が出てきて新たな富裕層が生まれきた。一方で、一定の領地を代々保有する貴族やカントリー・ジェントルマンたちもその動きに巻き込まれて、土地と商業資本でさらに富を重ねる者と、旧来の伝統で生きる者とに分かれたという。


とある歴史学者が書いていたが、貴族やカントリー・ジェントルマンが土地を持つことと、「徳」を養うこととの間には関係性があった。代々その土地に縛られ生きるということは、そこに暮らす人たちのことも含めて守ることを求められ、勇気、知恵、寛容を養い人々の手本とならねばという意味では常に見られる存在でもあった。ただ、これが貨幣中心の「動産」になれば、土地という「不動産」に縛られなくなり、それ故に求められた「徳」が変質してしまったという。

命がけで土地を守る気概や勇気を持つ必要に迫られなくなり、都会生活の中での優雅さ上品さといった「作法」というカタチに置き換えられていった。勇気や気概は無くとも、貴族らしく、上流らしく見える「作法」があれば合格点ということになったのだろう。


さて、「貧にして怨む無きは」どこか誇りにしたっていいし、美学にもなるし、ドラマの主人公になる。ただ、「富みて驕る無きは」できたとしても誇りにするほどでもないし、ドラマの主人公にしたとしても、斬九郎ならとてもつまらない脚本にしかならない。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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