論語読みの論語知らず【第40回】「君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ」

「いかに勝つか」と「戦いとは何か」この両者の問いに対して、前者は一応の答案を書くのに、ビジネス本数冊で事がたりるかもしれない。後者は、たくさんの哲学書が必要かもしれない。なにもドンパチだけが「戦い」ではなくて、生きている日々の仕事や人間関係のなかでも「戦い」は生起してくる。ただ、そうした事態に直面したとき、目前の問題解決に集中し、ソリューションを見出して突破していくのか。それともこれを奇貨として、思い切り引いてみて、俯瞰し、一体全体この戦いは何を意味しているのだろうと考えてみるか。前者と後者を比べれば、まず要する時間、ことに取り組む時間軸がまったく異なるし、さらに、前者と後者では思考回路も違うかもしれない。論語にこんな言葉がある。


「子 子夏に謂いて曰く、女(なんじ) 君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ、と」(蕹也篇6-13)


【現代語訳】

老先生が子夏に教えられた。「教養人(君子)であれ。知識人(小人)に終わるなかれ」と(加地伸行訳)


君子儒と小人儒の前に、まず儒という言葉は、もともと葬礼(葬儀)を仕事として営む人たちを指すものであった。仏教が伝来するよりもかなり前の中国では、この儒と呼ばれる人たち(原儒集団)が葬礼を取り仕切ることになっていた。時の経過とともに、この儒は大儒と小儒にわけられ、大儒が国家的規模の儀礼を司り、小儒は原儒の流れをくみ巷の儀礼(葬礼など)を司る形で分かれていった。そして、大儒が小儒をヒエラルキー構造でもって、形としては支配・被支配の関係にあった。


さて、この大儒と小儒では大きな違いは生活や仕事をする時間軸であったと思う。小儒は、今日でいえば葬儀社の機能を担うから、いつなんどき仕事が入るかわからない。市井に生き、日々の糧を得るために稼がねばならないから、どうしても東奔西走となるし、その時間軸も時々刻々を意識するビジーなものとなる。だが、大儒はいうなれば、権威を有し、国家が俸禄を保証し、定まっている国家的儀礼の準備と実行に十分に時間をかけて取り組むことになる。そして、たっぷりとある時間のなかで、より俯瞰して物事をみることもできたであろう。


さて、君子儒とはこの大儒をさし、小人儒とは小儒を指すという考え方がある。そうなのかもしれないが、孔子が、知性に長けた弟子の子夏に対して、国家レベルで活躍しなさいということをいっただけとは思えないのだ。直面した物事に対して激発せずに、常に引き俯瞰して動くようでありなさいという含意を感じている。


さて、悠長なことなどはいっていられないビジーな現代、戦いに直面し、限られた時間軸で「いかに勝つか」を求められたら、後ろのことは捨象して、前を向くしかなくなる。だが、この時に引きつつ、受け流しつつ、俯瞰して「戦いとは何か」を考えることで、また、意外に別の道筋が浮かび上がることもある。個から衆で考えてみても、みんなが前をむくとき、誰かだけが後ろを向く。みんな前に進むとき、誰かだけが退きさがる。傍からすれば臆病者にみえても、俯瞰してみればまた違ってみえる。そして、どんな組織も社会も国も、そんな違う時間軸を生きて、思考回路が異なる人間をごく少数確保しておくことが必要な気がする。


「いかに勝つか」からは優秀な戦術家が出て来てくる。「戦いとは何か」からは優秀な戦略家が出てくる。要は役割の違いだが互いにフラットになると話を嚙合わせるのは意外と難しい。互いに暴発終了となれば当事者同士には悲劇であり、敵からみれば喜劇となる。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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