論語読みの論語知らず【第45回】「子貢、君子を問う」

「避難勧告」と「避難指示」どちらがより強さを持つかは日本人ならなんとなくわかる。だがどちらも強制力がなく最後のところは避難するかどうかは自己責任で判断してくださいとなる。先日、仕事の関係で長野市を訪れた。台風19号により千曲川が70mにわたって決壊し、床下浸水が1781戸、床上浸水が3305戸、死者2名。被害とその爪痕が痛々しく残り現地はいまなお復旧にむけて戦っていた。

千曲川は台風による大雨が過ぎ去ったあとに氾濫した。上流に降った雨が長野市に到達するのに9時間以上かかり、台風が過ぎ去ったと一安心して避難をやめて自宅に戻ったところを氾濫に巻き込まれたケースが多発した。これには情報にまつわるミスがあったことも一因となった。10月13日午前4時には同川が決壊していたとみられ、国土交通省の職員が午前5時半には現地でそれを確認し、午前6時にはそれを発表した。


その情報は長野市にも提供されたが、それを住民に周知せず、防災無線もエリアメールなどで「決壊のおそれがある」との古い情報を流し続けた。これについて市役所は相当な批判を受けたと仄聞した。しっかりと検証されて改められなければならないだろうが、これ自体を槍玉にあげたいわけではない。一つの考え方だが、法律の範囲で物事を行うのが公共機関であり、法で定められた「避難勧告」「避難指示」という強制力が伴わない手段だけを有することの限界を露呈したのかもしれない。

なお、「避難命令」なるものは現在の日本には存在していないが、この語感であれば明確にそれを発令したものが解除するまでは戻ることができないことはわかる。可能かどうかはおいておき、緊急事態のなかで国や地方公共団体が強制力をもって住民に「避難命令」を発することができたとする。ただ、そうした手段を整備されたとしても、発動するかどうかを決断するのは結局人間でありその力量によってしまう。論語にこんな言葉がある。


「子貢 君子を問う。子曰く、先ず行なう。其の言や而る後に之に従う、と」(為政篇2-13)


【現代語訳】

子貢が君子とは何かとおたずねした。老先生はこう教えられた。「先ず実行だ。その説明については、実行の後でする」(そういう人が君子(教養人)だ)と(加地伸行訳)


子貢という人は孔子の弟子のなかでも論理性に優れた人だった。少し俗っぽくいえば理屈屋で弁舌に長けていた。もっとも論理性に優れているからこそ、一度行動を起こしてからはスムースに段取りができたともいえる。事実、子貢の活躍は弟子たちのなかでも群を抜き、国の外交使節としても大働きをした。


さて、もう一度冒頭の話にもどりたい。「避難勧告」「避難指示」に従うかどうか自己判断とは一つの自由なのだろうか。だが、こんな話を現地で聞いた。決壊した近くに住む家族の話では「避難勧告」が出たとき、長年そこに住んでいたお年寄りは「決壊なんかしない!堤防が守ってくれる!」と頑なに避難を拒み続けた。一方で、子供たちは「はやく避難しよう!」と泣き叫び、親たちが板挟みで決断になやんだと。情報が錯綜し、経験豊かなお年寄りと未経験の子供たちの食い違いのなかで決断させるのはかなり酷なのではないだろうか。

完全な情報が適時出そろうことはまずないし、そのなかで判断するのはもっと難しい。一方で強権発動は忌避される。だが、優れたリーダーに法に基づいた強権を与えることは、人々の生命を守るためには時に必要なことだとも思うのだ。もっとも胆力と責任感がありスマートなリーダーを普段から選んでいるかどうかは人々にも責任が問われてしまうことにはなるが。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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