温故知新~今も昔も変わりなく~【第42回】 細谷雄一『国際秩序~18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』(中公新書,2012年)

いまでも妙に生々しく覚えているが、私が「国際秩序」をはじめて意識したのは幼稚園の年長さんで5歳のとき。1982年に起きたフォークランド紛争、イギリスとアルゼンチンが大西洋にあるフォークランド諸島の領有をめぐって3カ月にわたり「戦争」をした。当然、複雑な事情など理解していなかったが、TVから流れてくる映像と大人から聞いた話で事実を知り、何故かイギリスかアルゼンチンのどちらかの味方をしなければいけないと思ったのだ。子供のメンタリティなど単純だから、一方が正義であればもう一方が悪と思ったのだろう。ただ、ヒーローもののようにはどっちが正義で悪なのかは分からなかった。幼稚園にいっておともだちに「イギリスとアルゼンチンのどっちの味方?」などと聞いてまわっては、全然まわりから相手にされなかったことがショックだったので強く記憶に残っている。


現在進行形のコロナは世界を大きく変えつつある。そして終息がみえてきた後の世界はどうなっていくのだろうか。いろいろな見解が出てきている。

ノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツは、

「多くの経済学者は、政府が自国の食料安全保障やエネルギー安全保障を担保するべきだという考えを嘲笑してきた。・・国外から調達すればいいというのだ。・・だが今、多くの国がマスクや医療物資の確保に血眼になり、外国への供給を禁止するなか、にわかに国境が大きな意味を持つようになった。コロナ危機は、政治や経済の基本的な単位は、依然として国家であることを強烈に思い起こさせてくれた・・・各国は経済のグローバル化を図ると同時に、一定の経済的自立を維持するために、バランスの取れた政策が求められるようになるだろう」


エール大学教授のロバート・シラーは、

「歴史を振り返ると、物事を根本から覆す事件が時々起こるものだ。戦争がその役割を果たすことも多い。コロナ危機は、まさに戦争のような緊急事態の意識をもたらし、これまで不可能だった変革を一気に進める可能性がある。ウイルスという共通の敵は、国内だけでなく世界の結束も促している。・・このパンデミックは、新しい政治的・社会的枠組みを生み出す可能性もある・・」


IMFチーフエコノミストのギータ・コピナートは、

「世界はわずか数週間で、多くの悲劇的な死、グローバルなサプライチェーンの麻痺、同盟国間の医療物資の奪い合い、そして大恐慌以来の不況の兆候といった、劇的な出来事を経験してきた。そこで露呈したことの一つが国境開放、つまりヒトとモノの自由な往来のリスクだ。今回のパンデミックを機に、グローバル化のコストと恩恵を見直すべきだという声は一段と強まるだろう・・」


どの知識人もコロナが大きなインパクトであり、世界が大きく変わっていくと考えている。だが、どう変わっていくかについては見解が割れるし、無論、誰も確かなことなどはいえないのだ。ただ、コロナ以前からグローバル化のなかで生きている日本は、これからの世界、国と国との関係、国の役割をどう考えていくかをこれまで以上に冷静になることを求められるだろう。真偽不明のままに情報が入り混じり大量かつ即座に報道されていく渦中では、激情が先走りつよい空気感を醸成して行動に結びつきやすくなる。情報機関はともかくとして、一個人がすべての情報に付き合いきれないし、いちいちそれらの真偽や価値判断を下していくことは不可能だ。その代替え手段とはいえないかもしれないが、世界をみつめる枠組みのようなものを自分のなかに平素から持っておくのがよいのかもしれない。


慶応義塾大学の細谷雄一教授の著書に「国際秩序~18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ」(中公新書)というものがある。2012年が初版で比較的新しいが良い本だと思っている。最終章の締めの言葉では、

「われわれは自国の利益や、この地域の平和を考える時に、あくまでも国際秩序全体を視野に入れる必要がある。それを可能とするためには、しっかりとした歴史観を持ち、そして長期的な視野を持つことが必要だ。平和を願い、友好関係を期待するだけではわれわれはそれを得ることができない。それを実現するための強靭な論理を持たねばならない。国際秩序とは何かを理解すること。それがそのための最初の一歩なのかもしれない」と結んでいる。


細谷氏のこの根底にある思いを踏まえてなのだろうが、この本の序章は、戦後の日本で国際秩序を巡ってどのような論争があったのか象徴的かつ代表的なエピソードを拾い上げるところからスタートしている。それは1950年代終わりから60年代はじめに、当時の東大助教授坂本義和と京大助教授の高坂正尭の間で行われた論争で、坂本が「中立日本の防衛構想」、高坂が「現実主義者の平和論」の論文を軸に繰り広げられたものだった。この過程で坂本が「理想主義者」で高坂が「現実主義者」とのレッテルが世間から貼られた。この論争のベースには、いわゆる「勢力均衡」とよばれる概念の解釈を巡っての論争でもあったという。


「勢力均衡」とは、国際政治の基本はパワーであり、そのパワーとパワーを均衡させることが国際秩序の基本原理の一つとして受け継がれてきたが、それが米ソ冷戦下の日本において有効といえるのかどうか、そして当時の日本はそれを妥当とするべきなのかどうかの論争だったという。細谷氏は、この「勢力均衡」という「均衡の体系」以外にも、「協調の体系」と「共同体の体系」のあわせて3つの秩序原理を国際秩序・政治を捉えていく上でのツールとして第1章で紹介している。簡潔にいえば、国と国はパワーとパワーのぶつかり合いといった部分のみではなく、相互の利益を生み出すようなつながりがあり、それをベースに今少し理性的に調和できるとの考えだ。そして、「共同体の体系」とは、国連のような国際的な共同体のもとで諸国家が連合し平和を確立していく考えがベースとなる。「均衡の体系」「協調の体系」「共同体の体系」、この3つの秩序原理といったアイデアのそれぞれどこに重きを置くかは国際政治を論じる学者たちの間でもスタンスは異なるのだ。


さて、コロナ発生以降の世界をこの3つの秩序原理でみたとして、どれか一つだけを選び取るような択一の世界にはならないだろう(どれかひとつだけで成立している世界は想像できない)。だからこれら3つの原理を軸として来るべき世界をいろいろな側面からアプローチして捉えていくことが大切になる。もっとも、常に3つの原理のブレンドが効きながらも、どれかの味が異常なくらいに濃くなることは十分に予想される。そしてかつて冷戦下(結局のところ日本は3つの原理それぞれの側面から余波を受けて平和だった)のような環境で坂本と高坂の両氏が平和かつ安全に論争ができたような時代ではなくなり、これまでとは異なった選択と行動は迫られていくことにはなるだろう。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

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