温故知新~今も昔も変わりなく【第47回】 佐々淳行『佐々警部補パトロール日記 目黒警察署物語』(文春文庫,1994年)

1972年「あさま山荘事件」が起きたとき私は生まれていなかった。事件についてはじめて認識したのは小学生くらいで、民放で放映されていた「衝撃の瞬間」を通してだった。そり立つような崖の上にあるあさま山荘。そこに散弾銃や猟銃に加えて手製爆弾などで武装し人質をとってたてこもった連合赤軍に対して、警視庁と長野県警機動隊が包囲して催涙弾を打込み、そして突入を試みているシーンが記憶にある。私が中学生くらいのときだと思う。この事件について番組で滔々と語る御仁がいた。それが「初代内閣安全保障室長」の肩書でゲスト出演していた佐々淳行氏だった。佐々氏が結果的に死者3名負傷者27名を出しながらも無事人質を救出した「あさま山荘事件」で実質的な指揮官を務めたのはよく知られている。なお、当時、警察庁から長野県警に応援で派遣されたときの正式な佐々氏のポジションは「警備実施及び広報担当幕僚長」であった。(なお、警察では機動隊が包囲し突入していわゆる「交戦」をするのも「警備実施」の概念に含まれる)


佐々氏は2018年に逝去されているが、生前、危機管理の第一人者として多くの著作をのこし、テレビ出演や講演なども精力的にこなされた。私が20代のときこれらの著作はほとんど読んだ記憶がある。現場で実戦に向き合ったことが元になっている作品はどれも秀逸だが、そのなかでもユニークなのが、佐々氏がまだ警察官になり立ての頃のエピソードをまとめた本だ。「佐々警部補パトロール日記 目黒警察署物語」(文春文庫)の裏表紙は次の言葉で紹介している。


「戦後の混乱が残る東京の街の警察署に新米警部補が着任した。東大出身キャリア組に対する冷たい視線を感じながら、昼夜分たぬパトロール体験を通じて次第に周囲に認められ、一人前の警察官に成長していく。制服警官の心情を見事に描く本書はポリス・ドキュメントであると同時に、「危機管理」実践篇でもある」


この本では面白いエピソードがたくさん書かれている。新米警部補の佐々さんは、正義感がつよく、血気盛ん、そして良い意味で出しゃばりだから注目の的。それゆえに理解のない上司からはうるさがられ、ときに露骨に嫌がらせをされる。それでもめげない佐々さんは、目黒署で「外勤第三班」の主任としてその下に、巡査部長3名 巡査35名の指揮を預かることになった。そのほとんどが佐々さんよりも年上の部下たちであった。こんなくだりがある。


・・・巡査部長“三銃士”を外勤監督室に集めて相談する。

「外勤第三班は勤務成績最低だと、次席(警部)に言われたよ。どうだろう。皆で第三班を第一位にしようじゃないか」

「五嶋主任さんが病欠だったんで、どうも意気があがらなかったんですよ。でも主任さんがきたからきっとよくなりますよ。我々だってビリだ、ビリだ、言われるのと口惜しいからね」と前田巡査部長。鵜飼君も木村君もうなずく。

「どうすればいい? 私は新米だからどうやったらいいかわからないから、意見をきかせてほしいんだ」


と佐々さんここらあたりまでは先輩を立てつつの謙虚な姿勢を見せる。だが、このやりとりは少し進むと佐々さんの個性が俄然と出て来てくるのだ。


・・・それはどうもあまり感心しない話だな。

「交通違反なんかでミミッちく点数稼ぎするのはやめにして、職務質問をどんどんやらせて、泥棒とか暴力団とか点数の高い本当に悪い奴を捕えた方が、都民のためになるんじゃないのか」 そうおっしゃいますけどね、主任さん、そう簡単に職質で泥棒がつかまるというものじゃありませんよ。

暴力団はどうだい?管内にも何か、組関係の奴、いるんだろう? そりゃ、いることはいるけど、外勤は現行犯か、準現(準現行犯)の緊逮(緊急逮捕)でしょ?めぼしいのは捜査係や防犯の刑事があげちまいますからね。

まあとにかく、明日から“職質の励行による盗犯・粗暴犯の検挙”ってことでやってみようや。

「そうですね・・・」わかっちゃいないなあといいたげな顔をしてる。

第三班の監督者会議で一応十月の方針が決まった。明日からは“大物狙い”でゆこう。


この本は「目黒警察署物語」とあるが自伝でありフィクションではない。そして並のフィクションなどよりも面白くエンタメ性もありそしてタメになる。私自身繰り返すが佐々氏の本は会社員として勤務していた時代にほとんど読んだ。「そんな本よりももっと実践的なマネジメント本でも読んだほうがタメになるよ」とアドバイスをしてくれる先輩もいたが適当に煙に巻いた。おかげで幸運にも知己を介して晩年の佐々氏に直接お会いすることがかなった。

当時、佐々氏は渋谷に事務所を構えておられて、訪いを入れ案内されたその部屋は書籍があふれていた。予定時間を過ぎて、秘書の方がメモを差し入れても時間を割いて話を続けてくださった。そのなかには驚くようなこともたくさんあるのだが、ここでは書けない話でもあったりする。そして、佐々氏ご自身の経験にもとづいた世の中との向き合い方、身の処し方なども真摯で具体的な助言はいまでも心の深いところに残っているのだ。当時、佐々氏は自らのご年齢を理由に事務所を閉めることを考え始めておられた。(そして、その後まもなく閉められた)まだ、十分に健康で現役続行できそうにもみえたが、余力を残したままに潔く退くことを良しとしたのだろう。

一番印象的だった会話は「道を貫く」ことについてだった。このことは佐々氏が逝去されたいまでも私の中に息吹いている。ユーモアと少年のように目をキラキラさせながらご機嫌にお話をされていた佐々氏のことをふと思い出してしまった。


***


筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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