論語読みの論語知らず【第62回】 「夢に周公を見ず」

多かれ少なかれ誰しもが憧れの存在を持つ。生涯を通じて一人にそうした思いを貫くことは稀かもしれないがときにある。孔子はそうした人だった。貴族の子弟のように恵まれた環境で学ぶことができず、いろいろな人を師として独学を重ねた孔子は、古い文化をよみがえらせることを願い、その理想を周公旦(たん)の行為と精神に依拠して夢を見た。周公旦(周公)は孔子が生きた時代よりもずっと昔、紀元前千年くらいの人であり、孔子とは500年くらいの時の隔てがある。周公は周王朝を創建した功臣の一人で、孔子の母国である魯の建国の祖である。司馬遷の「史記」は次のように周公の人柄をつたえる。


「周公旦は、周の武王の弟である。文王の在世当時から、子として孝行で仁徳にあつく、おおくの兄弟と異なっていた。武王が即位するにおよんで、旦はつねにこれを輔翼(ほよく)し、万事に力をつくした。・・・武王が殷に勝ってから二年、天下がまだ安定しないうちに、武王が病床についた。群臣は時期が時期だけに憂慮した。太公望(注:呂尚・周の軍師)と召公(注:建国の功臣)とが、武王の疾病の治・不治を、つつしんで亀卜(亀の甲を焼くうらない)しようとした。周公はいった。「宗廟で亀卜をおこなえば、先祖の霊が心配なさることだろう。いたずらに先祖の霊を悲しませてはならない」そして、自分自身をお供えの犠牲にし、三個の祭壇を設け、北面して立ち、宝玉を頭上にいただき、また手に持って、太王(古公亶父(たんぽ))・王季(季暦)・文王(西伯昌)の霊に告げた。太史官(王の文書、記録を司る官)が祭文を読んで禱った。

「あなた方の嫡流(ちゃくりゅう)であります王発(武王)は、あまりの勤労のために疾病に苦しんでおります。もし、あなた方三王の霊が、天上にあって子孫を保護する責任を負っておられますならば、旦を王発の身代わりにしてください。旦は巧智で多材多芸であります。よく鬼神にお仕えすることができましょう・・・」周公は、かくして太史官に祭文を読ませて太王・王季・文王の霊に告げさせ、武王発の身代りになろうとのぞんだ。・・・翌日武王は平癒した」


「史記」はさらに後の話として周公が武王のあとを継いで王になった幼少の成王のために摂政の地位につき良く補佐したが、その能力ゆえに嫉妬され讒言が広められたのを記録する。成王が成人してから後、周公は政権を王に渡して摂政の地位を辞して臣下へと退いたが、それでも彼を陥れようとする動きは止むこと無く、成王はついにその讒言に心が動かされてついに自分から遠ざけた。なお、周公は成王がまだ幼少の頃に病気になった際には、やはり神に対して自分を身代わりにするように祈っている姿が「史記」に記録されている。この周公は孔子の時代には礼学の基礎をつくった人とされ、文と武の両方に通じた聖人として尊崇を集めるに至った。


先にも述べたが孔子はこの周公を理想的人物とし自らのロールモデルとした。このコラムで過去に何度かふれたが、孔子の一生は決して栄光に満ちたものではなく、その理想とするものを叶えられたわけではない。ただ、全てを諦めたわけではなく、理想の実現を後世に託して教育に力を注いだ。だが、周公に熱いパトスを向けていた孔子も年老いていくなかでときに嘆きもした。かつて夢見た周公が自分の夢枕に立たなくなったことを悲しむ一文が論語にある。


「子曰く、甚だしいかな、吾が衰えたることや。久しいかな、吾復夢に周公を見ず」(述而篇7-5)


【現代語訳】

老先生のことば。ひどいものだなあ、呆けてきたわな、このごろ。もう長い間(あれほど慕ってきた)周公の夢を見なくなっている(加地伸行訳)


さて、周公は「史記」が記録するような人格を備えた御仁であったのだろうか。「史記」の美談を額面通りに受け取るわけにはいかない。武王や成王のために身代わりを祈ったことも後世の創作に過ぎないともいわれる。創作だとすれば周公が聖人として祭り上げられていくプロセスでこうした逸話が付着したのだろう。無論、司馬遷は創作と知って記録したわけではないとは思う。


ちなみに、周王朝はその創建時に首都機能を二つの都市にふり分けている。一つは宗周と呼ばれた古くからの都市で主に祖先を祭る宗廟などがあった。もう一つは新たにつくられた成周(洛邑)であり、中国全土を治めるため地政学的にも重要な地点にあった。周公はこの成周に駐留して自己の勢力を扶植し拡大しようとしていた可能性が考古学的な見地からいわれもする。彼が成王を補佐したことは史実であろうが、それがどこか微妙な政治力学の上に成立していたであろうことは否めないのだ。仮に周公の人となりの真実が徹底的なリアリズムを奉じた政治家であったとして、そして「史記」に記録されたような美談は創作であり、心底から王に忠誠を誓っていたわけではなかったとした場合、孔子の敬慕やパトスの価値は毀損されるだろうか。私はそう思わない。自分より遥か昔に生きて伝説となった人にどこか一途な想いをもち、それに近づき陶冶し続けようとする生き方はとても素敵な気がするしそこには夢がある。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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