温故知新~今も昔も変わりなく~【第48回】 ヘミングウェイ『老人と海』(新潮文庫)

戦いを好むか否か。個人的には私自身はずっと後者だと思っている。ただし、回りがその意見に賛同してくれるかどうかはわからない。若い頃は空手の組手(スパーリング)を飽きもせずに延々と続けた。素手素足の激しい攻防に生傷はたえなかったが、それをどこか誇らしく感じながらも夢中だった。色々な道場に出向いて一手指南をお願いすると、その相手の技量や力量を推し量りながらの戦いとなった。20代後半の頃に当時の世界チャンピオンから一手指南を受ける機会に預かったが、そこでは彼我における大いなる差を知り分際の意味合いを学んだ。


それから、別に異種格闘技戦を好んでいたわけでもないが、とある一流の武道家とご縁を持つ機会があった。稽古の上での事だが、長い間培ってきた私自身の剛の正拳を、氏の柔なる技で軽くいなされた時にはこの世界の広さと深さを知った。さらに別の機会にはルールがあったかないかもよく分からない真剣勝負をわずかだが経験することができた。この時の感覚は言葉にするのは難しいのだが、心のなかに自分が二人いて、理性的な一人が感情的なもう一人をどこか淡々と制しているなかで自然と体が動いていた。さて、いまでは組手こそあまりやらないが稽古だけはしている。コロナ禍の期間中もそれこそ独房の囚人がストイックに腕立て伏せを続けるように、私は部屋の限られた空間で稽古だけは黙々と続けた。ただし、戦いを好むか否かと問われたらやはり後者ではないかとは思っている。


前置きが長くなってしまったがヘミングウェイの短編名作「老人と海」は、銃や剣が出てくるわけではないが、一言でいえば戦いの物語だと思っている。キューバに住む老齢の漁師サンチャゴは、スランプと悪運が続き長い間獲物にありつけなかったが、それでも一人で小舟を操りながら沖合遠くまで出漁していく。心のなかに浮かび来る空振りの予感を拭い去りながら前へ前へと進んでいくのだ。


「だが、と老人は考えた、おれは大丈夫だ。ただ、どうやらおれは運に見はなされたらしい。いや、そんなことわかるものか。きっときょうこそは。とにかく、毎日が新しい日なんだ。運がつくに越したことはない。でも、おれはなにより手堅くいきたいんだ。それで、運がむいてくれば、用意はできてるっていうものさ。」


すると突然サンチャゴがそれまでに経験したことがないような強い引きが綱(糸)からやって来る。海中を縦横無尽に動くその正体をサンチャゴはなかなか拝むことができないが、かかったのは巨大なカジキマグロだった。そこから4日の間、サンチャゴとそれの押しと引きの攻防戦は続くことになるのだ。カジキマグロは綱から逃れようと力の限り動き回り、その膂力は小舟をさらに陸から遠く遠くへといざなっていく。サンチャゴはそれが疲れ果てて浮かびあがってくるところに銛で一撃を加えようと耐え続ける。この短編のなかで妙に好きな描写がある。それはカジキマグロの急なフェイントによる引きでサンチャゴの左腕がつってしまい使い物にならなくなりながらも、戦い続けるために食事をとるシーンだ。


「さあ、来い、老人は気をとりなおして、引き綱の傾きにそって、暗い水のなかに視線を移した。食わなくちゃいかん、手に力をつけてやろう。手が悪いんじゃない。おれはずいぶん長いこと魚と格闘してきたんだからなあ。いや、おれは最後までやつにつきあう気でいるぞ。さあ、鮪を食え。かれは小さな切身を取りあげ、それを口に入れてゆっくりと噛んだ。まずくはない。よく噛んで、みんな血にするんだぞ。ライムかレモン、せめて塩でもあれば、まんざらでもないんだが。「どうだい、ぐあいは?」かれは左手に向っていった。それはほとんど死後硬直に似た症状を呈している、「おれは、お前のために、もうすこし食ってやるぞ」老人は引き裂いた残りのひときれを口に投げいれ、丹念に噛んで、皮を吐き出す。・・・・「かんばるんだぞ」かれは左手にいった、「おれはお前のために食ってやっているんだからな」


私が映画監督ならこのシーンを隠れた見せ場にしたい。一流レストランで素敵な洋装を纏いマナーよく食事をいただく演出なんかよりも、生き残るため、目前の戦いを放棄しないため、そして戦いに勝つため、義務としての食事のほうが演出としては数倍難しいだろうが巧くいけば絵になるし、日本の俳優なら差し詰め誰が良いかなどと考えてしまう。サンチャゴの死闘は続きそして徐々にクライマックスを迎えていく。


「だが、おれはやつを、できるだけこっちへ引寄せるようにしなければいけない、かれは心のうちでそう思う、頭なんかねらうんじゃないぞ、心臓をぐさりとやっつけるんだ。「落ちつけ、元気を出すんだ、爺さん」とかれは自分に向っていった」


真剣勝負のヤマ場や勝ち目のきわで、はやる自分に対しておさえにかかる自分、これがとても難しくそこを一つ間違えば落命する。「老人と海」のストーリーはシンプルだ。戦いの結末もその後のこともよく知られているので書くまでもないだろう。さて、戦いを好むか否かは結局のところ問題以前という人生もある。それはいつだって目の前にあって、それが義務の人生もあるだろう。いうなれば主人公のサンチャゴはそういう人なのだと勝手に思っている。「老人と海」のラストページは「老人はライオンの夢を見ていた」で終わるのだ。


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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