論語読みの論語知らず【第66回】 「色 厲(はげ)しくて、内 荏(やわ)らか」

その道の専門家からはトンデモナイといわれるかもしれない。ただ、通説とされているものが実のところまったくトンチンカンなものではないかと思うときがある。お能を鑑賞するのがわりと好きで能楽堂にときおり足を運ぶ。自宅でもYouTubeなどにアップされているものをリラックスしながらのんびりと観る。能管(笛)、小鼓、大皷(おおかわ)、太鼓の四拍子が独特に醸し出す音響が、知る日常から知らぬ世界へといざなってくれる。映画やドラマも良いがお能のなんともいえないペースと間(ま)が心地よく思うことが増えた気がする。(自分でもやりたいとまではまだ言い出してない) 今日に残っている250程度の演目には色々なお話がある。そのなかでも一見するかぎり哀しいお話で、現代では主に悲劇として解される演目が、実のところ昔の人は悲劇の裏側に潜む喜劇を見ていたのではないかと思えてしまうことがある。哀しいようで可笑しい、悲劇と喜劇が表裏一体のような演目、いわゆる修羅物(二番目物)に分類される演目「清経」などがその一つだと個人的には思っている。


このお話しあらすじは次のようなものだ。平家一門が「都落ち」をした後で、京都で静かに暮らしていた平清経の妻のもとに、九州から清経の家臣である淡津三郎が訪れる。淡津は、清経が九州の沖合で入水して果てたということを知らせ、そして、清経が形見として残した遺髪を渡す。これを渡された妻は、再会する約束を守らずに一人果てた夫清経を恨み悲しむ。そして、手元におけば悲しみが増すばかりと遺髪を宇佐八幡宮(大分県)に納めてしまう。


それでも妻は夫へ色々な思いが募り過ごす日々の中で、ある日その夢枕に鎧姿の清経の霊が現れる。霊となってでも再会できたことを喜びつつも、妻は生きて帰る約束を破った夫を責め、夫は遺髪を手放した妻の薄情を恨み、互いにおいおいと恨みあって悲嘆にくれる。そのうちに霊になった清経は、自らが死にゆくまでの心境を述べつつ、もはや栄耀栄華が見込めない現世にいるよりは、いっそのこと極楽往生を期待して舟の上から一人入水したことを語り、その後みた死者の世界(修羅道)の悲惨な様子をみせる。そしてその去り際に念仏によって救われたのだといって消えゆく。


あらすじだけでは伝えにくいが、清経と妻のやりとりはときに辛辣でありそしてどこか滑稽さを残す。清経は入水自殺だが、それは行く末を悲嘆して一人絶望しての衝動的なものだ。妻はまずそれを恨めしく思う。入水の事実を知った妻は淡津三郎に現代語訳にすればこんなセリフを吐く。


「なんですって、身を投げ、亡くなられたと言うのですか。ああ恨めしい。討たれて、または病気のゆえに落命したならば受け入れられるけども、ご自分で身を投げてしまわれたとは・・・」


武門に嫁いだこの時代の女性だから覚悟はある。乱世だから討死や病死も受け入れる悲壮な緊張で日々過ごしてもいる。一方の沖合に出た清経は敵の大軍に囲まれたわけでもないのだが、来し方行く末を思いあきらめて入水を決めて船首に立ち、横笛を抜き出し(清経は笛の名手として知られた)一吹して「今様」をうたい、最後に念仏を唱えて身を投げたという。このシーンを思い浮かべてみても観劇する側が清経に気持ちを寄せるものだろうか。

夢枕にたった清経は、妻の恨みをわからずに、形見の遺髪を手放したことを恨む。


「宇佐神宮に遺髪を返すとは、見飽きたからなのか。そうでないならせっかく黒髪を届けたのだから、私を愛している限り手元において欲しかった」

「それはお心得ちがいというものです。心を慰める形見とおっしゃいますが、見ればいっそう思いが乱れるのです」


自らを棚に上げておいて清経が自分の遺髪のありかにこだわるその姿は悲劇よりも喜劇にみえてくるのだ。


二人は最後までポイント違いの恨みあいを重ねて、清経は修羅道から念仏で救われたといって去りゆきシナリオでは救われたとされているのだが・・・果たしてそうなのだろうか。救われたと思っているのは清経だけで、霊として彷徨う定めの清経を物哀しくも滑稽に描いたようにどこか感じてしまうのだ。個人的にはどうもこの清経に憐憫の情を持つ気になれないのだ。どこか格好はつけているけども結局は自分のことばかり考えて弁解する清経が際立ってくるように思う。作者の世阿弥はそうした効果を十分に意識してこの作品を書いたのではとも思ってしまう。ふと論語の辛辣な一文を思い出した。


「子曰く、色 厲しくして、内 荏(やわ)らか。諸(これ)を小人に譬うれば、其れ猶穿瘉(せんゆ)の盗のごときか」(陽貨篇17-10)


【現代語訳】

老先生の教え。外見(色)ばかり格好をつけ、その実、中身はだめ。これを知識人に譬えてみると、(上品に構えてはいるものの、心では利益は手に入れたいと密かに思っている)こそ泥みたいなものだ


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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