温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第129回】 ウィリアム・ダガン『戦略は直観に従う~イノベーションの偉人に学ぶ発想の法則』(東洋経済新報社,2010年)
・「ひらめき」が戦略的直観
厳密なことばかりにこだわらずに、いろいろな知識・知見を自由に駆使しているのが『戦略は直観に従う~イノベーションの偉人に学ぶ発想の法則』という本の特徴といえる。コロンビア大学ビジネススクールでの講義内容をベースとしており、ふと思いつく「名案」、突然の「ひらめき」が、どのような仕組みで生まれ、それは学問的な見地からはどういうことなのかを論じられている。さらには、「ひらめき」が、実際に社会や経験としてどのように活かされていったかの実例を広く展開しながら、ひらめきを作り出す能力は培うことができるかをテーマにしている。
「私は、この最新の学問を「戦略的直観」と呼んでいる。戦略的直観は、漠然とした予感や本能的な直観のような「単なる直観」とは一線を画す。単なる直観とは感情の一形態であり、思考ではなく感覚である。戦略的直観はその正反対の概念で、感覚ではなく思考なのだ」(本書第1章)
冒頭でこのように喝破する本書では、直観というのは他人にはよく説明のできない個人の感覚的な能力などではなくて、個人が培ってきた知識や知性の体系が、何かしらの回路を通して思考されて発揮されるものというスタンスをとる。また、日本語で直観的という表現を用いると、即断的なイメージでとらえられがちだが、本書の「直観」はそれとは一線を画するものとなっている。
人間はなにか一つの仕事について経験を重ねていくと、そのなかで起きる諸々の範囲を知り類似的な問題をパターンとして認識する。業務処理の効率はあがるが、こうしたなかで働く直観は「専門的直観」であり、「戦略的直観」とは違うとする。「戦略的直観」は、人間が未知の領域や分野に入った時に、脳が時間を要して最適な解答を求める過程に現れるもので、ときには過去の経験則に基づく「専門的直観」の存在もオフにされなければならないとする。
本書は全11章で構成されているが、前半部分は、科学史、脳科学、認知心理学、軍事戦略理論、東洋哲学といった学問や知識を使いながら、戦略的直観の中核となる刹那のひらめきがどのように機能しているのかを理論的に探究している。後半部分では、実社会でひらめきがどのように応用されたかについて展開され、ビジネス、社会システム、職業、教育などの分野に焦点を当てている。各章のなかでキーパーソンとして登場してくるのは、科学史ではトーマス・クーン、軍事戦略からカール・フォン・クラウゼヴィッツ、他にも、ナポレオン、ジョミニ、孫子にも及ぶ。東洋哲学の領域からはブッタ(釈尊)が登場し、宮本武蔵なども立ち現れてくる。ブッタとクラウゼヴィッツの思想の共通点は何かなどと論を展開したりもするので、内容としてはかなりの振れ幅をもつ(このくらい自由に講義をしているところがなんとも米国らしいなとも感じさせてくれる)。
・科学史の視座から
科学革命は人間の歴史を中世から近世へと進めた。コペルニクスの天文学からニュートンの物理学への道筋は、社会に大きな影響を与えたが、その過程で科学的方法論が確立された。自然界を支配する法則を発見するのが科学的方法論であるとして、ここから敷衍された普遍性を求める考え方は、いつしか法律やビジネス領域においても用いられてもいる。普遍性に直結し得るのが科学的方法であり、それが問題解決に万能だとするならば、物事の戦略を考えるときには、戦略的直観よりも科学的方法論が適当なのではないか。これに対してトーマス・クーンは独特のアプローチをみせている。トーマス・クーンは元々物理学者であったが、物理の領域で過去をさかのぼると発見がどのように積み重ねられてきたかを知るうちに、専攻を科学史へと変えることになった。
クーンは歴史の歩みのなかで科学者たちが考え方をどのように変えてきたのか、思考の変遷を研究して、コペルニクスの地動説も古代から中世の科学者たちが積み上げた知をベースに生み出されたに過ぎないとした。そして、科学における「進歩」という言葉も、過去と未来の間に裂け目があって、その裂け目を超越して飛躍するような進化ではなく、過去と未来の繋がりのなかでの「曲がり角」的な部分であり、いわばパラダイム転換が起きているのが真相だという。
既に存在していた考え方が元になったとするコペルニクスの発見は、その後、時を経てニュートンに引き継がれて理論となった。この発見が先にあって理論が後に体系化されていくことがパラダイム転換の形成過程だとも説明する。それは仮説を立て、仮説検証のための実験を行い、実証されて功績となる、いわゆる理論先行の概念とは正反対のものであり、科学革命は発見が理論に先行して営まれたとする。
「科学の進歩は、新たな理論を生む思考の飛躍ではなく、既存の発見を選択・融合させ、その発見を論証しうる理論に昇華することでもたらされる。これは組合せのなせる業であり、何もないところからひねり出す想像の産物ではない。さらにいえば、過去の個々の発見を選択的に組み合わせ、一つの新しい概念に昇華させる行為なのである。過去の断片が結びつき、一つの新しい未来を作るのだ。・・」(同書第2章)
「過去の個々の発見を選択的に組み合わせる」、ここに直観的なひらめきの作用があるとし同書では、このことを「既知の情報が有機的に結びつくことが、戦略的直観の本質である」として科学史の視座で追求する第2章を結んでいる。
・軍事理論、クラウゼヴィッツ
本書の前半は科学史、脳科学、認知心理学、軍事戦略理論、東洋哲学などをアプローチの術としながら戦略的直観に迫っていることは先に述べたが、本書評ではもう一つ軍事戦略理論の部分を紹介しておきたい。第5章では、ナポレオン、ジョミニ、クラウゼヴィッツといった人物が登場する。コルシカ島生まれでアクセントをときに小馬鹿にされていたナポレオンが瞬く間に頭角をあらわして全欧を席巻していったが、その軍事的才能には独特のひらめきと戦略的直観があったとしている。ここでは、同時代の軍人(軍事思想家)であるジョミニとクラウゼヴィッツの著作や思想でもってナポレオンの軍事的才能の源泉と戦略的直観について論じている。
ナポレオンの参謀であったジョミニは『戦争概論』と呼ばれる著作を出しているが、一言でいえば軍事的原則といえるものを体系的に整理してマニュアル的に分かりやすく書いたものとなる。戦略のための計画に重きを置くジョミニの考え方について、本書では次のように説明している。
「ジョミニの戦略的計画とは、まず指令本部を設立し、続いて目標地点を決定し、その後、軍隊を指令本部から目標地点まで移動させる布陣を選択することである。これは三段階を経て実行される。すなわち、第一に自分の立ち位置(A地点)を把握し、第二に自分の目的地(B地点)を決定し、第三にA地点からB地点まで到達するための計画を練るのである。今日に至るまで、企業やその他の組織が、この戦略的計画と同様の手順で戦略を練っていることに気づいた読者もいるだろう」(同書第5章)
ジョミニ自身はこうした三段階を経ていく思考はナポレオンの戦術に由来しているとしている。その一方でナポレオンとは対峙する立場にあったプロイセンの軍人クラウゼヴィッツはこれとは違った部分に主軸を置く。戦略を見抜く力として「クーデュイ」(戦局眼)の大切さを説きつつ、ジョミニがいうような目標地点が、そもそも決定的な会戦地点となり得るかを看破や作為できる実力こそが根幹であり、この目標地点が敵よりも相対的戦力で優位に立つことが出来るかが決め手なのだとする。本書では、この決め手となる場所を看破する過程に戦略的直観が作用するとのだという説明をしている。その戦略的直観をもたらすメカニズムをクラウゼヴィッツは「歴史の先例」、「平常心」、「ひらめき」、「意志の力」といった4段階に分けていると本書では説明する。
ジョミニが唱えた三段階の思考過程は、その後、世界中の軍教育機関に影響を与えて、その著作は戦場における軍事マニュアルとして受け入れられることになった。他方でクラウゼヴィッツの『戦争論』は、ドイツ観念論を駆使した著述スタイルから難解とされ、名は知られても通読されることは少なかった。本書では、ナポレオンの自叙伝からの文言を引いて、ナポレオン自身は、ジョミニの目標地点よりも、クラウゼヴィッツのいう決め手を含む場所に軍配を上げたのではないかとしている。
「兵法というものは、数の上で劣る軍隊を率いる場合においても、襲撃や防衛の時点で常に敵軍よりも強い勢力を持っていることが前提となっている。・・・・直観的な行動こそが、戦争に勝利するために必要なのだ」(同)
・ビル・ゲイツの戦略的イノベーション
本書の後半は、実社会での応用の事例となっていくが、第7章では、マイクロソフトやグーグル、アップルの創業者たちがどのように戦略的イノベーションを起こしていったかを戦略的直観に関係させながら展開していく。ここでは、今日でもビジネス戦略・事業戦略などで教科書的に用いられるマイケル・ポーターの『競争の戦略』『競争優位の戦略』といった極めて合理的な戦略論を引き合いに出しつつ、創業者たちの成功、そこに介在する戦略的直観はポーターの描く世界とは全く違うものであったと論じている。
ゲイツは、後に共同創業者となるポール・アレンと共に、高校時代、DEC社のミニコンピュータ「PDP-8」でプログラミングを学び、そこから創業への旅路が始まっている。時はインテルがマイクロプロセッサ「8008」を発売して、PDP-8自体が小さなチップ一つに収納されてしまう時代が到来していた。ゲイツはハーバード大学、アレンはワシントン州立大学にそれぞれ進学したが、後にアレンはゲイツとの仕事を選び、大学を中退してボストンに向かった。
インテルが更に新しいチップ「8080」を発売した時には、ゲイツとアレンはマニュアルを熟読してチップの上で彼らが精通していたBASICのプログラムが動作するのを確かめた。そこで多くの大手コンピュータ会社に対して、自分たちが新しいチップを使用したBASICのプログラム開発できると提案したが、あまり好意的な反応は得られなかった。ゲイツらはこの状況に失意の日々を送ることになったが、キャンパスをぶらついていたときに、ニューススタンドにあった雑誌「ポピュラー・エレクトロニクス」誌の表紙に惹かれ、これを手にしたときに運命は大きく変わった。その表紙にはMITSというニューメキシコ州にある小さな会社が発売を始めるという新型コンピュータの「アルテア」が一面を飾っていた。アルテアはデスク上に置くことができるサイズであり、当時としては小型のもので、8080チップを内蔵していた。彼らはMITSにコンタクトをして、アルテアの上で動くBASICプログラムにすでに取り組んでいると話を盛って伝えると、先方が興味を示し、二人はそこから全力で開発に取り組みソフトウエアを6週間で完成させている。アレンがニューメキシコまで出向いて、MITSにデモをみせて契約を勝ち取ることになった。ゲイツは大学を休学し、間もなくして新会社マイクロソフトを起ち上げている。
「戦略的直観によってゲイツは初めてビジョンを得た。アルテアに出会う前には、このようなビジョンを持つことはなかった。ジョミニの見解では、まずビジョンを描き、続いてビジョンを具現化させるために実行計画を立てる。一方クラウゼヴィッツの見解では、まずひらめきが生まれ、その結果、実現可能なビジョンを描くことができる。ひらめきが新たなビジョンを生み出すという考え方は、戦略的イノベーションの重要な特徴である」(同書第7章)
・ 戦略的直観の鍛え方
イノベーションが生み出されるためには「ひらめき」が求められ、このひらめきこそが戦略的直観の中核であるというのが本書の主張だが、冒頭でも述べたように、ひらめき自体は感覚ではなくて思考の産物だとする。思考である以上それは教育によって鍛えられるのか。このことを第10章でプラグマティズムと絡めて展開されている。いかにもビジネススクールでの講義らしい。
「・・・概していえば、戦略的直観の構成要素を教えることは、理論上は可能である。では、実践ではどうかというと、コロンビア大学ビジネススクールでは過去三年間にわたり、こうした科目を他校に先駆けて取り入れてきた。・・」(同書第10章)
このようには書くが、ただそのメソッドやノウハウについてはぼかされてしまっている。高額な授業料を払って履修しない限りは核心部分には触れさせてもらえないようだ。ただ、本書が度々引用しているクラウゼヴィッツについていえば、『戦争論』のなかにいかに思考を鍛え得るか、どのような方法をとるべきかについては、しっかりと書かれているのだ。本書、『戦略は直観に従う~イノベーションの偉人に学ぶ発想の法則』では、クラウゼヴィッツの思考について「歴史の先例」、「平常心」、「ひらめき」、「意志の力」といった程度でまとめているが、実のところ、直観を鍛える方法論については、『戦争論』のある章で詳らかに展開されている(もっとも、あまり読まれることもないのも事実だ)。先日、私が主宰している読書会でクラウゼヴィッツを用いた思考の鍛え方について大いに議論を行った(こちらは無償無料の読書会だ)。なお、余談だが、ビル・ゲイツのパートナーだったポール・アレンが私の大学の先輩にあたることを知った。もっとも、間抜けなことに在学中はそのことを知らなかった。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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