温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第132回】 エルブリッジ・A・コルビー 『アジア・ファースト 新・アメリカの軍事戦略』(文藝春秋,2024年)

・戦略家コルビー氏が打ち出す米国の「拒否戦略」

トランプ大統領が新たなリーダーとなったアメリカはどのように中国と向き合っていくのか。側近たちの間でもその戦略のあり方をめぐっては様々であるし、トランプ大統領自身の中国との向き合い方はいまだ判然とはしていない。こうしたなかで、トランプ政権で対中国戦略の理論的支柱となるだろう戦略家のエルブリッジ・A・コルビー氏(国防次官(政策担当)就任予定)の『アジア・ファースト 新・アメリカの軍事戦略』(文藝春秋)は多くの示唆を与えてくれる。本書は、日本の戦略学者である奥山真司氏が当人にインタビューを行って訳されたものであり、冒頭の訳者の序においてコルビー氏が主唱する米国が中国に対して取るべき「拒否戦略」を基本から説明し、一般向けにわかりやすく書かれたものだとしている。

本書においては、米国が取るべき最適な戦略は「拒否戦略」(Strategy of Denial)だとして、その意味するところは「中国の覇権を拒否する」ことだという。

「・・・中国がアジアで覇権を確立する際には一帯一路などの経済的覇権だけでは不十分であり、必ず軍事的な侵攻と占領を仕掛けてくるはずです。その先駆けが南シナ海での基地建設であり、今後、最も危険性が高いのが台湾侵攻でしょう。それに対して、中国の侵略を「拒否」する、侵攻を不可能にするための圧倒的な能力を備え、それによって地域のバランスを安定させることを目指す必要があります。・・・」(第1章)


・パワーの根源は経済力と軍事力という発想

コルビー氏は国際政治におけるパワーとして経済力を根源的なものとして捉え、そこから軍事力が生まれるとする。そして、安全保障の視座から軍事力が持っている影響力を重視している。他方で、文化などを含むソフトパワーについては限定的な価値だけを認めている。パワーの基盤となる経済力については、GDPだけでなく購買力平価などの視点を含めれば、今日すでに米国の中国に対する優位は圧倒的とはいえない。軍事力においても、米国のそれは冷戦構造が終了した後でしばらく謳歌できたような強大なものではなくなっており、戦略レベルにおいて複数の作戦正面を保つようなことは難しいとする。

コルビー氏は自らを莫大な予算を投じて米国の軍事力をより強大にしていくことを目指す「優越主義者」、米国外に展開している米軍をすべて戻して、本国の防衛だけに専念しようとする「抑制主義者」のいずれでもなく、その中間に位置する「優先主義者」であると告白する。その立場から主張する「拒否戦略」は、軍事力による勢力均衡、バランス・オブ・パワーと国益重視のリアリズムに基づいたものであり、国家の生存と繁栄を目的とした意味での倫理的なアプローチだとする。

そして、バランス・オブ・パワーの観点から、現在世界のGDPの40%近くが集中するアジアというパワーの集積地において中国が台頭してくる意味合いについて触れている。

「実は、中国はこうしたパワーの原理に忠実に行動しているといえます。率直に言って、彼らが追求しているのはパワーの集積による地域覇権であるということはあらゆる証拠が示しています。・・・それは彼らの国家戦略として合理的だからです。基本的に、あらゆる「台頭する大国」というものは覇権を求めるのです。それは、モンゴル帝国や漢のような、単なる領土の拡大や獲得と結びついているわけではありません。私が「安全な地理経済圏」と呼んでいる、もっと長期的な経済構造によるものです。中国にとってアジアにおける地域覇権を確立することは、彼らの安全と繁栄に大きくプラスをもたらすものだとみなされるのです・・・」(同)

このような認識を持ちつつも、米国は他国からの意志を押し付けられるようなことは論ずるまでもなく、中国が地域覇権を確立することもまた望まない。仮にそのような事態になれば、中国が世界のGDPの半分以上を支配して周辺国にその覇権とパワーの承認を求めることになり、それは米国の核心的利益が毀損されてしまうとする。このことは日本やアジア諸国にとっても大きな問題となるのは明白であり、米国が軸となって「反覇権連合」の性質を持つ同盟関係を構築して中国と向き合うことが必要だという。


・中国に対する「反覇権連合」の目的とは

ただ、同盟の目標とするところは「反中連合」ではなく、中国の弱体化やレジームチェンジ(体制変更)を追求して勝利を得ようといったものでもない。「拒否戦略」やそれに基づく同盟は、中国がアジアで覇権を持つことを拒否するものであって、他国を侵略しない限りで中国が掲げる「中華民族の偉大な復興」が実現されることは許容されるとする。中国は「超大国」になっているので、米国が自らの意志を一方的に強要するようなことはできないのも現実であり、米国と中国が互いの生存をかけてのデスマッチを行うことなく、バランス・オブ・パワーを尊重することができれば良いとも述べている。コルビー氏が唱える「拒否戦略」はこれらの考え方が基調となっている。

他方で「拒否戦略」を実現していくことに楽観的な見通しを主張するようなことはなく、中国もまた「拒否戦略」への対抗戦略を打ち出してくるとする。中国は反覇権連合が形成されていくことを黙って見過ごすことはなく、その破壊を狙ってくるのは必定だとする。無論、それは武力の直接行使を伴わない形で追求されつつも、必要に応じて地域を限った「制限戦争」のような形で武力が用いられる可能性もあるという(コルビー氏はこれを「システム的地域戦争」と呼んでいる)。そして、この種の戦争が起きてしまえば、その地域における支配の帰趨は決まってしまうという。中国が反覇権連合を崩していくという視座から、その最も優先度の高い目標として台湾が手始めとなり、その次はフィリピンなどへとシフトしていく可能性を述べている。ただし、中国がかねてから領有権を主張する台湾をのぞいては、武力による侵攻は併合そのものを意味するわけではなく、中国にとって都合のよい傀儡政権の樹立といった間接的な支配がありえると述べている。

これを拒否するためには米国とその同盟である日本や韓国、さらには台湾、フィリピン、オーストラリアが協力して「第一列島線」のラインにおいて中国を抑え込むことが重要であるとして、次のように述べている。

「・・・私が現在主張しているのは、「アジアに集中せよ」「第一列島線を見よ」ということです。とにかく大事なのは「軍事的に第一列島線から中国を出さないこと」です。そのかわり、われわれはアジアの大陸に出て行って戦ってはいけません。人的消耗が激しくなるからです。ただし、朝鮮半島は例外的に守る必要はあるでしょう。アジアが安定していれば中国は軍事的に暴れることができません・・・ところが最大の課題は、日本、そしてアメリカが、この戦略に同意しているにもかかわらず、それを実現するために必要なことを実行していないということです・・・」
(同)

コルビー氏は、中国があと数年もすれば本格的な行動に出てくるとして、それを拒否するためにも米国は日本の防衛力が大きく増強されることを必要としているとし、本書の最終章でも改めてこのことを強調している。


・トウキュディデスが示唆する同盟維持の難しさ

以上が本書においてコルビー氏が説く「拒否戦略」のポイントとなる。さて、話は変わるが、米国と中国の軍事衝突の可能性や戦略のあり方について議論されるとき「トゥキュディデスの罠」なる用語がわりとよく使われる。既成の覇権国家に対して、台頭する新興国家が衝突して戦争へと至るといった意味合いを持つ用語であるが、古代ギリシャ、アテネの将軍であったトウキュディデスが著した『ペロポネソス戦争史』がベースになって現代につくられた考え方である。

ペルシャ帝国からの侵攻に共同戦線を形成したアテネとスパルタも、紀元前5世紀が後半に近づくにつれて覇権をめぐり全面衝突のコースへと入っていた。アテネとスパルタ、そして互いの同盟国の思惑や利害が複雑に絡み合う中で、アテネの外交団が全面衝突を回避しようと自らの覇権拡大の理由について、スパルタやその同盟国に堂々と弁明している記録などは戦略論としてみても現代に多くの示唆を与えてくれる。『ペロポネソス戦争史』を世界最古の科学的兵書・戦略古典であるといった評価を与えている人もいる。

なお、「トゥキュディデスの罠」という考え方は頻繁に使用される一方で多くの批判も存在している。ここではその論争に深入りしないが、ただ、『ペロポネソス戦争史』を精読していくと、同じ同盟のなかでも「恐怖」、「名誉」、「利益」が入り組んではそれぞれの感度も異なり、同盟は時に一枚岩になれずに混乱を増して、アテネとスパルタの戦争が拡大されていくといった側面も垣間見えてくるのだ。


・「孫子」から「拒否戦略」について考える

ところで、トウキュディデスよりも1世紀ほど先輩にあたる孫子(孫武)の兵法もまた古代より読み継がれてきている世界最古の科学的兵書・戦略古典であるともいえるが、この戦略思想はコルビー氏の「拒否戦略」を前にしてどのような示唆を与えてくれるだろうか。

「孫子」は、科学的大系、常変一体、静動一元、万全主義といった特徴を持っているとされ、その構造として理想主義と現実主義の両方を含んでいる。「孫子」を戦力という視座でみていくと「静的戦力」、「動的戦力」、「相対的動的戦力」などに整理して読み込むことも可能であり、現代にも多くの知恵を与えてくれる。「孫子」の戦略論の大きな特徴は、いわゆる「戦わずして勝つ」(戦わずして人の兵を屈する「不戦而屈人之兵」)であり、それと自軍を敵軍の攻撃から保全すること(故に能く自らを保ちて勝を全うするなり「故能自保而全勝也」)と連関させながら追求しているところにある。

コルビー氏の「拒否戦略」の本質は、「孫子」と対照して考えれば、この「不戦而屈人之兵」と「故能自保而全勝也」に近いともいえるだろう。なお、「孫子」はこのアプローチを唱えて終わりではなく、このアプローチに楽観的というわけではない。これが機能不全に至った場合のことについて、戦い方のあるべき姿にも言及している。その一つは「拙速」であり、それは戦争の戦果が不十分だとしても迅速に終結に至った結果がよかった例はあっても、完全な勝利に拘って長期戦を行って結果がよかった例はない(故に兵は拙速を聞くも、未だ巧久をみざるなり「兵聞拙速、未睹巧之久也」)と喝破している。そして、拙速の内に終わらせるためにもあらゆる戦力を動員することになるが、そこに戦争とは敵を騙す行いである(「兵者詭道也」)というも考え方も連関して立ち現れてくる。

さて、コルビー氏が本書で示す「拒否戦略」では、「戦わずして勝つ」を追求する枠組みは示されているが、それが機能不全に至った時にどうしていくのか。トウキュディデスが「ペロポネソス戦争史」で示した同盟が持つ強さの裏返しともいえる脆さ、そこから生ずる摩擦、当初の戦略からの乖離と混沌。このような事態に至っても乗り越えていくために、孫子が示すような「拙速」「兵者詭道也」の追求といったあり方など、これらと対照する部分について本書の「拒否戦略」ではほとんど触れられていない(もちろん、触れられてないから、考えられていないというわけではないだろう)。

要するに、米国と中国が広いインド太平洋において対峙をしているなか、その渦中に位置する日本が、いかに頭の整理をしなければいけないことが多いかは明らかである。コルビー氏が本書で示している「拒否戦略」を読みながら、示されていないことは何かを考える。このように戦略的思考を鍛える機会を与えてくれる一冊だと思うのだ。


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書評筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。

株式会社 陽雄

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