論語読みの論語知らず【第105回】 「コントロールできること・できないこと」
・ 高校まで手書きで大学からPCでタイプ
30年前にWindows95が発売されたときPCは随分と身近な存在になった。私自身も高校生までは作文・レポートの提出は手書きであったが、大学からはPCでタイプしたものを出すようになった。就職したときも一人に一台のPCが与えられる環境で職業人としてキャリアを始めさせてもらえたが、なんとなくどこか贅沢な感じがしたことを覚えている。そうしたわけで、それよりも前の時代、オフィスにPCなどなく、手書きで書類を仕上げて、固定電話とFAXで仕事をしていた時代のことを直接は知らない。一人一台のPCが贅沢だと思ったが、そこから20年以上が経過してみるとオフィスのデジタル環境はさらに様変わりしている。ITによるシステムはあらゆるところを網羅し、AIと手を携える仕事とその余波がどこかにはみえる。
・AIの正体はアリストテレスの延長
PCにしても、AIにしても、本当のところはアリストテレスが確立したともいえる論理の法則・三段論法(AND/OR/NOT)を軸に稼働しているもので、その正体は得体が知れないというわけでもない。AIは機械学習やディープラーニングを進め、それは識別系、予測系、会話系、実行系などに振り分けられて、生産性や効率性の向上を目指す企業によって応用され、実際のオペレーションに取り入れられたことで諸々が便利になったのは事実だ。そして今は生成AIを使いこなしていく時代に入り、個人、企業、政府、軍隊などあらゆるところで深く影響を与えている。日々の生活のなかで効率性が飛躍的にアップし、統制・コントロールできる物事が急速に増えているように感じさせてくれる。私自身はAIを作り出す技術も知見もないが、使いこなしていくには関心を持っている。それと同時に、効率的な統制・コントロールが当たり前の物事に囲まれてしまうと、ひとたびそこから外れてしまう事態に直面したとき、人間のメンタルは大丈夫だろうか。メンタルの耐性は維持されるだろうか。この点についても関心を持っている。
・コントロール不能に囲まれた『論語』の世界
前置きが随分と長くなったが、『論語』の話を少ししたい。孔子は理想と志を高く掲げつつも、その一生は苦難や困難が多くついて回った。あの時代は今と比べれば効率性はないに等しくコントロールできない不運に直面すると、孔子は天へと言及しながら、自らの運命や運について自問自答する言葉が『論語』には幾度か登場する。なお、天というものについては、孔子よりもずっと前の古代である殷の時代などは、天=神という素朴な感覚であったが、孔子の時代はもう少し抽象的な存在になっている。孔子は天が与える運命というものに疑うことはなかったが、自らの力では当面のコントロールができないような不運に直面したときに気持ちの揺れやブレを告白してもいる。ただ、それでも最後には一生懸命に学問をあきらめずに続けていこうと気持ちを取り直してもいる。
子曰く 我を知るなきか、と。子貢曰く、なんすれぞ其れ子を知るなし、と。子曰く、天を怒りみず、人をとがめず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か、と。(憲問篇14-35)
【現代語訳】
孔子「私のことを誰もわかってくれない」 子貢「そのようなことはないでしょう」 孔子「いや天に恨みごとはいわない。私のことを一番わかっているのが天なのだから、より一生懸命に学問を頑張ろう」
孔子の学問は、物事の根本を正すことを求める部分があり、それは効率性や生産性に欠けるとともにある意味では迂遠でもあった。その時代の権力者からはなかなか受け入れられないので、弟子たちから妥協するべきではと直言されてしまうときもあった。コントロールできない運命の諸々と向き合うなかで編まれてきた『論語』の言葉は、古来、読み手に大きなインパクトを与え、慰めや勇気をもたらしてきた。ただ、現代のように効率的にコントロールできる物事に囲まれてしまうと、この価値もみえにくくなるのかもしれない。だからといって、AIがこの価値を完全に代わるとは思えない。生きていればどこかで効率的なコントロールから外れる「不運」はやってくるし、その日のための備えは必要だとは思っている。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。
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